2023年10月24日火曜日

ステージ復帰への道:道半ば編

10日ほど前、はじめてバンドメンバー全員が集まってスタジオ練習をした。夫がかき集めたメンバーなので、夫以外は互いに初対面である。まずは挨拶からなのだが、ここでちょっと気になったことが。

夫は「こちらドラムの●●君、こちらベースの▲▲君、それからこれが嫁です」と紹介した。冠婚葬祭でも毎度のことだが、今回も私は名前抜きで「嫁」とだけ紹介された。これは予想通りだったので、やや食い気味に大きな声で「ミユキです!よろしくー!」と自己紹介をした。それなのに、これも半分予想通りというか、誰も私を名前では呼ばないのだ。あろうことか「こっち」とか「そっち」とか、指示代名詞で呼ぶのだ。私の中のヤンキーが「お前ら、そこに正座せえ!」と暴れまくったのは言うまでもない。

その後、どうしてもモヤモヤがおさまらずTwitter(現:X)でアンケートをしたのだが、夫に「嫁(妻)」とだけ紹介され、名前は紹介されないという人が半数以上だった(回答してくれたのは8人だけだったが、40代以上の夫婦はどこもこんな感じなのかも)。

閑話休題。さて、肝心の練習の方だが、私は思ったよりデキが良かった。相変わらずギター2人の我が強すぎるせいで音量のバランスが取れないという問題はあったものの、天性のリズム感の持ち主である私がリズム隊に合わせることができたのはひとえに年の功ではないだろうか。

バンドをやっていた高校生の頃と違い、おばさんになった私は、少なくともこの5年ほどは月1くらいのペースでジャンルやプロアマ問わずライブやコンサートに足を運んでいる。たくさんの生演奏を聴いてきてたどり着いた結論は、「ボーカルとギターが下手でもドラムとずれていなければ問題なし!」である(暴論)。ドラムとずれないためには耳だけでなく目も大事なのだという新たな気づきも得た。ということで、私はドラマーのN君とベースのF君をガン見しつつ、「ガールズバンド出身の私としては、おっさんとバンド組むの不本意だな~」などと失礼なことを考えながらギターを弾いた。

こうして2時間にも及ぶ初回バンド練習を終えたが、意外なことに問題は私ではなく夫であった。エフェクターやアンプの設定がしっくりこないまま時間が過ぎ、集中力に欠け、他のパートを聞けていなかった。その結果、リードギターだけが悪目立ちしてしまっていた。その様子を見ながら、「あー、40年前の私と同じだ」と思った。おそらく「上手に弾きたい」という欲が強すぎるのだと思う。「私のギターどうだった?」と聞くと、「あ? 聞いてなかった」と言われ、またしても私の中のヤンキーが大暴れしたのは言うまでもない。

現段階でのバンドとしての完成度は60%くらいで、私のギターについてもドラムに遅れなかったというだけで、課題山積である。初対面ということもあって、様子見モードだったのだが、夫のギターに気圧されている感が強かったので、やはりストラトキャスターではなくレスポールにしようと決めた。こうして、引き続き我が強いままで先が思いやられるが引く気は一切ない!

夫はその後、エフェクターとアンプの設定を決めるためだけに2時間スタジオに入った。私も付き合ったのだが、正直なところ「練習のための練習」に飽きてきた。あと、2時間立ってギターを弾いたため翌日は朝から腰痛で、筋トレの必要性を痛感した。

2023年9月30日土曜日

ステージ復帰への道:スタート編

 突然だが、12月に夫が所属していた軽音サークルのライブに出演することになった。夫が裏で手を回して関係者(大学軽音サークルの仲間)および非関係者を説得してこぎつけたわけだが、早い話、夫自身が出たくて熱心に動いたようだ。ところが、自分だけ出たのでは私に来る日も来る日もイヤミを言われることは火を見るより明らかだ。前回は友だちのバンドに急遽参加させてもらった夫だったが、今回は私を出演させるために自分のバンドを作ることにしたようだ。

まず、足りないパートはベースとドラムとボーカル、つまりギター以外全部足りない。学生時代に一緒に組んでいたメンバーは全員が遠方に在住。そこで、福岡在住の友人にヘルプを頼んだらしい。ベーシストは同じ大学でハードロックバンドをやっていた同級生。ちなみに、今回演奏するのはルースターズ2曲とシナロケ1曲の計3曲。ベーシストは「もう10年くらいベース弾いてない」と言いつつも引き受けてくれた。ドラマーは中学の同級生で、普段はインストバンドで叩いているらしい。何度か動画を見せてもらったのだが、ほぼプロの腕前である。

ボーカルは見つからなかったため、夫がルースターズを、私がシナロケを歌うことになった(もちろん歌詞はうろ覚えだ)。情けないが、私は弾き語りができないので、歌うときはギターはお休みしてイントロと間奏部分だけ演奏に参加する。

気がかりなのは、私に課されたパートがサイドギターという点だ。バックビートで弾き始めたはずなのにいつのまにかダウンビートになってしまうという天性のリズム感を持つ私がサイドギターというのはかなり厳しい。「とにかくドラムを聞いてドラムに合わせて! 音数減らして音量抑えめで」と言われているのだが、リズム音痴をなめてはいけない。聞いて合わせられるのなら苦労はしないのだ。

同じ家に住んではいるが、普段は各自別の部屋で練習している。一度だけ生音で軽く合わせてリフパターンの確認をしただけでひと月が過ぎた。いくらロックが生ものとはいえ、この私がぶっつけでやるのは無理が過ぎるというものだ。そこで夫と私だけでスタジオに入り、iPadをPAにつなげて流した曲に合わせて弾いて(&歌って)みた。

全然悪くなかったのだが、リードギターしかやったことがないためか私も夫も我が強すぎる。私はどうしてもサイドギターに徹することができない。バッキングの音がでかすぎるだの歪ませすぎだの言われても、「だって私はハードロックが好きだからね」と一蹴。確認用にスマホで録音したのだが、やっぱり私のビートが微妙にずれている気がした(どうしてもポップスのビートになってしまう)。二人だけでやっていてもらちがあかないので近日中にバンド全員でスタジオ練習をする予定だ。

普段は月に2回、スタジオに入ってギターのレッスンを受けているのだが、バンド練習はレッスンで入るスタジオとはまったく違う楽しさがある。上手に弾けなくても間違えても全然OK(いや、たぶん私以外はOKではないな)、ノリだけで突っ走るのはこのうえなく気持ちがいいのだ。本番では全力で突っ走る予定なので、その姿を見て元ガールズバンドの女子たちが「来年は私も出たい」と思ってくれたら何より嬉しい。

というわけで、いま人生で一番熱心にギターを練習している。同じバンドでキーボードを弾いていた友だちから「あのときもこのくらい練習してくれれば良かったのに」とチクリと言われたほどだ。面目ない。





2023年9月28日木曜日

Extremely Extreme

9月26日、アメリカのロックバンドExtremeのライブを観るために大阪に遠征してきた。Wikipediaによると、Extremeはグラムメタル、ファンクメタル、ハードロックに分類されている。私にとってギターのヌーノ・ベッテンコートは神の一人である。

今回の来日公演については、たまたまネットで目にして慌ててチケットを取った。残念なことに福岡での公演がなく、最寄りの大阪公演を選んだ。チケット代は1Fスタンディングで13,000円、2F指定席で14,000円。

コロナ禍前の2019年、Zepp Fukuokaで開催されたGeneration Axe以来の生ヌーノである。結論から言うと1ミリも見えなかった。ライブハウスのフラットなフロアでは高身長の人間が有利に決まっているのだ。私は156cm。男性が前にいただけで視界の80%はブロックされる。先日の鮎川誠追悼ライブでもプレーヤーの頭しか見えなかった。ただ、そのときはキャパ200名ほどの小さなライブハウスだ。なんばのZeppはスタンディングでのキャパは2,000名超。東京の通勤電車並みの超満員だったうえに、私の前には背が高い男性ばかり。人の頭の間からちらっとでもヌーノの姿が見られたら……という願いも虚しく、メンバーの姿は一切見えなかった。そればかりかステージ後方のバックドロップすら見えなかった。見えたのは天井の照明だけ。

それでもとても楽しいライブだった。ベース側にいたせいかベースの音がやたら大きく聞こえたのだが、ヌーノのギターは最高だったし、MCも愛嬌たっぷりだった。ボーカルのゲイリーは3曲目くらいまでイマイチ声が出ていなかったようだったが、まあ、ウォーミングアップということで。

公演中のスマホ撮影は特に禁止されておらず、賛否両論あるだろうが、今回のように当日1ミリも見えなかった私などは、SNSにアップされた動画でヌーノの変わらぬさらさらヘアを愛でることができた。

ヌーノは来日中に誕生日を迎えて57歳になったのだが、「57歳になるとみんなわかると思うけど、座れるとほんと助かるよ」と言いながら椅子に座ってのアコギタイム。大ヒット曲『More Than Words』は全員で大合唱。私は復習の甲斐なく歌詞がうろ覚え。それでもヌーノと一緒に歌うという念願が叶った。

いつも思うのだが、大阪の人は本当にハードロックやメタルとの親和性が高い気がする。関西出身のハードロック、メタルバンドも多い。私のギターアイドルの一人、高崎晃も大阪出身だし、予想通り会場に来ていたらしい。アンコールの後にMV用に客席を撮影するから、みんな目一杯はじけてくれと言われると、全員が全力で応えるという熱さ。福岡では考えられないほどの熱さだったが、ハードロックやメタルはこうであってほしい。しかし、私もヌーノと同い年なので終わった後はグッタリだった。次回があれば、2F指定席にしようと心に決めた。

ライブ遠征の際は毎回、会場からできるだけ近いビジネスホテルを選んでいる。部屋の快適性にはこだわらない。今回もZeppから近いホテルの中で一番安いホテル(ホテルソビアル なんば大国町)を予約していたが、幸いなことに大当たりだった。オープンまもないホテルで、ツインの部屋は十分な広さ、トイレと浴室は別。浴室は広々として快適だった。バスタブ付きの部屋はごく一部だけのようだが、大浴場もある。24時間利用可能なドリンクバーもある。ブッフェ朝食は品数こそ多くないものの、とてもおいしかった。これで1室2名で約1万円(じゃらんポイントによる割引があったとしても、昨今のホテル事情を考えるととても安い)。

今回の移動は飛行機にした。新幹線より断然安かったからなのだが、飛行機はいろいろと面倒が多い。我が家は駅から遠いので空港までは車で行く。空港までは約8kmなのだが、ラッシュアワーと重なると車で1時間近くかかることもある。駐車場も事前に予約しておかねばならない。諸々の手間を考えると新幹線の方が楽かもしれない。とはいえ、アプリなどの進化でチェックインから搭乗までの一連の流れがとてもスムーズになっていて驚いた。心配性の私は「もしスマホのバッテリーが切れたり、落として割ったりしたらQRコードを表示できずに飛行機に乗せてもらえないのでは?」と気が気ではなかったため、現地での乗り換えは全部夫に調べさせた。

フルでアップした人がいる! ありがとう!

ライブの録画について思うこと:
アメリカツアーのライブもフルでアップされている動画がたくさんあって、それについては賛否両論、今後も議論は続くと思う。「動画が出るのならわざわざ高いチケット買う必要はないのでは?」と言う人もいるかもしれない。だが、音楽は生で聴いてこそなのだ。配信や映像では伝わらないものにお金を出しているのだ。

2023年9月14日木曜日

はじめてのスライダーズ

先日、ザ・ストリート・スライダーズ(以下、「スライダーズ」)のライブに行った。夫はスライダーズの大ファンなのだが、私はよく知らない。車のHDにベストアルバムが入っているので、運転中にたまに、しかも受動的に聴く程度。このベストアルバム以外は聴いたことがない。バンドメンバーのことはまったく知らない。100%初心者である。

一方、夫にとってスライダーズは「最も好きなバンドのひとつ」であるらしい。スライダーズが再結成すると聞いたときの夫の反応は、20数年前にレイジーが再結成すると聞いたときの私の反応と同じだった。トリビュートアルバムの爆オン試聴会に行った後の夫はさらに熱が高まり、ツアーが決定してからはずっとソワソワしていた。

スライダーズをよく知らない私は、よもや「チケット争奪戦」になるなど想像もしておらず、「福岡ならチケット余裕で買えるやろ?」とナメていた。運良く、一発で福岡公演に当選したのだが、チケットを入手できずに涙を呑んだ人も多いらしい。実際に、当日の会場入り口前で「チケットゆずってください」と書いた紙を持って立っている人を何人か見かけ、「まじで?!」と驚いた。

私が欠かさず足を運ぶのはLOUDNESSとシナロケなのだが、そのどちらともお客さんの雰囲気が違っていた。なんというか、ちょっと都会的な雰囲気なのだ。実際、遠方から来ている人も多そうだった。会場がキャナルシティ劇場だったことも、「いつも行くライブと違う!」感を強めていた一因だろう。

開演時間になると会場全体がソワソワしはじめる。早くも立ち上がり拍手をする人、歓声を上げる人、それにつられて会場全体が興奮に震えていた。

メンバーが登場すると、観客が一気に弾けた。予習ゼロで参加したやや引き気味の私に対し、夫は最初から最後までノリノリで熱狂していた。

帰りの車中でも夫はご機嫌で、いろいろと解説してくれた。ハリーのギターはオープンチューニングだから曲ごとにギター変えるんだとか、昔は笑顔すら見せなかったのにすごく愛想が良くなっていてびっくりしたとか。

そんな夫とは対照的に、私は最後まで引き気味で終わってしまった。なんというか、テンポが私の好みに合わなかった(遅すぎる)。夫には「あー。やっぱり、キミの好みとは違うやろなあ」と言われた。その後も夫は家に帰り着くまで、いや帰り着いた後もずっとスライダーズの話をしていた。私がレイジーやLOUDNESSのライブ後にずっと喋っているのと同じだ。

熱く語りまくる夫を横目に、ふと「キャナルシティ劇場の前にいた人に私のチケットゆずってあげればよかったかな?」と思った。とはいえ、チケット転売対策か、入場の際に抜き打ちIDチェックが行われていたのだが。

ところで、コロナ前と比べるとライブのチケットがずいぶん値上がりしている。私の観測範囲では2~3割アップくらい。海外のミュージシャンともなると、輸送費の高騰などもあって倍近くなっているのではないだろうか。夫の友人がクイーンとアダム・ランバートのライブに行くらしいが、チケットが25,000円だったらしい。私ら夫婦は今月末にEXTREMEの大阪公演に遠征するのだが、そのチケット代(13,000円)を聞いた夫が何度も「ねえ、ヌーノ*はそのチケット代で大丈夫なん? ペイできるん?」としきりに案じている。ヌーノの心配よりも、大阪遠征がうちの家計に与えるダメージを案じて欲しい。

*EXTREMEのギタリスト、ヌーノ・ベッテンコート。私が最も好きなギタリストのひとり。

2023年9月8日金曜日

新型コロナ その後

新型コロナウイルスの感染から約3週間が経過した。2週間前にブログを書いたが、その後の様子を備忘録代わりに書き留めておく。

まず、2週間前の状態は、①たまに軽い咳が出る、②味はまったくわからない、③においもまったくわからない以外はいたって元気だった。味とにおいがわからないので、普段は食べない豚肉をもりもり食べていた。同時に感染した夫の当時の症状は、①ちょっとだけ嗅覚が鈍り、②ちょっとだけだるい程度と、夫婦そろって軽症で済んだことに安堵していた。

ところが、それから1週間ほど経ったころ、なぜか私の咳がひどくなった。特に朝晩がひどい。一度咳が出るとなかなか止まらないので、今も外出を控えている。病院で処方された咳止め薬がなくなった後はアネトン咳止め液を服用したが全然効かなかった。アネトンの錠剤も同じ。その後、メジコンせき止め錠Proに変えたが効果はあまり感じられず。明け方4時とか5時に咳き込むと目が覚めてしまい、もう眠れなくなる。咳のせいで寝不足が数日続いた。ドラッグストアの薬剤師さんに相談すると、パブロンSせき止めをすすめられた。これが一番効いた気がするが、感染からの日数を考えると回復の時期に重なっただけかもしれない。

コロナの症状と同時に肩の痛みも悪化していたため、いまだに解熱鎮痛剤のお世話になっている。病院で処方された解熱鎮痛剤はカロナール。肩の痛みで処方されていたのもカロナール。解熱効果は普通。頭痛にはあまり効かず、肩の痛みにはよく効いている。

しかし、ルースターズの歌ではないが、来る日も来る日も錠剤ばっかり飲み続けるのもどうかと思い、梨を買ってきた。梨には咳を鎮める効果があるというツイートを目にしたからだ。梨を小さく切って鍋に入れ、はちみつを加えてコンポートにしてみた。水っぽい梨だったが、咳が少しだけ治まったような気がしないでもない。単に、回復の時期が来ただけなのだろうが。

味覚と嗅覚に関しては、味覚は7~8割、嗅覚は半分くらい戻ったと思う。私は子供のころからにおいに敏感で、そのせいでかすかな異臭や香料もストレスになっていたのだが、嗅覚が鈍ったおかげで日々の暮らしがとても楽になった。嗅覚はこのままでもいいなと思っている。味覚が万全ではないので外食はしていない。料理については元から味見をあまりしないバカ舌なので、コロナの影響はあまりないような気がする(家族は迷惑しているかもしれないが)。

夫の方はというと、感染後2週間あたりから倦怠感が増しているらしく、ギターも弾けないほど体がだるいらしい。夫は元から風邪を引くと倦怠感が強く出るタイプである。私は風邪を引くと咳が長引くタイプである。体感として新型コロナは普通の風邪の1.5~2倍くらいの威力だろうか。

困ったことに、新型コロナと肩痛が重なってしまったことで運動不足に拍車がかかり、3週間で2kg近く太ってしまった。ようやく気候も秋めいてきたことだし、そろそろウォーキングを再開しようと思っている。


『気をつけろ』ルースターズ


2023年9月7日木曜日

肩が痛いのだ

「肩が痛い」というと、ほぼ100%の確率で「五十肩? 私も去年やったよ」とか「半年くらい続くよ」とか言われるのだが、私の肩はもうかれこれ30年ほど断続的に痛いのだ。

まだ新人OLの頃「肩が痛い」と何気なくもらしたところ、隣の席の先輩が「整骨院に行っといで」と毅然とした口調で助言してくれた。そのときに初めて「肩が緩い」と指摘された。とはいえ、日常生活にはさほど支障がなかったので数回通っただけで行かなくなった。

10数年後、テニスをする度に肩がすっぽ抜けるような感覚があり(抜けてはいない)、その後2日ほど軽い痛みというか違和感が続いた。整形外科を受診するとやはり「肩が緩い」と指摘され、筋トレを勧められた。

そして、40代になってランニングを始めてからは定期的にジムに通って熱心に体を鍛えるようになり、肩の痛みも出なくなった。

ところがである。50代に入るやいなや膝の半月板損傷でランニングができなくなると運動量が激減。この頃からテニス後の肩の痛みが本格的にぶり返してきた。ジムで筋トレをしながら、サーブは全力で打たないひょろサーブに変えた。

そこへきてのコロナ禍である。ジムに行くことすらやめてしまい、筋力は衰える一方である。今年6月、痛み止めが必要なほど悪化して近所の整形外科を受診。レントゲンを見た医師が「肩がね、緩いんですよね。ちょっと押さえますよ」と腕の付け根をぐいと押さえると上腕骨骨頭部がぐりんと動いた。その瞬間医師は「あ!!」と声を上げた。思った以上に緩かったらしい。

週に1、2回リハビリに通い、インナーマッスルを鍛えることになった。幸い、痛みは1週間ほどで治まり、テーピングをすればテニスも難なくできた。ところが、二拠点生活をしているとリハビリに行けない週がある。1か月もするとまた痛みがぶり返してきた。さらに強力になって。「一度詳しい検査を受けてみてはどうか? 手術についても相談してみては?」と他院を紹介され、肩の専門医に診てもらった。専門医によると、肩関節内部に損傷がある可能性が高く、損傷部位を特定するには造影剤使ったMRI検査が必要らしい。肩関節の中に造影剤を注射するのが怖くて検査を拒否する人もいるらしい。

案の定、注射は思わず声を上げるほど痛かったが、ほんの数秒のことなので難なくクリア。造影剤を入れた状態で医師が腕をいろんな方向に動かして都度X線撮影。腕を挙げたり、ひねったり、引っ張ったり。麻酔と鎮痛剤を注入しているとはいえ、かなり大胆に動かされたため、麻酔が切れた後の痛みはここ数か月で一番だった。

さて、本番のMRI検査である。脳の造影検査を受けたときにひどい吐き気が続いたことを前もって伝えておいたので、安全のために車椅子で検査室まで運ばれた。ところが、検査台に拘束されて筒に入った途端、恐怖と息苦しさに襲われ、緊急ボタンを押してしまった。痛みを耐えて造影剤を入れたにもかかわらず、ほんの数秒で中止となってしまった。

脳に未破裂の動脈瘤がある私は、6年ほど前から定期的にMRI検査を受けている。自分が閉所恐怖症だと思ったことはないし、毎回無事にクリアしてきたのだが、前回はうっすらと「狭いところちょっと嫌だな……」と感じた。今回は唐突に「狭いところ怖い!」という強い恐怖心が出てきてしまった。コロナ罹患後と睡眠不足で体調が万全でなかったのかもしれないが。

待合室でぐったりしていると、「もう一つオープン型のMRIがあるんだけど、そっちだったらいけるかもしれない。見てみる?」と看護師さんが提案してくれた。若い技士さんも励ましてくれて、なんとかMRI画像を撮影できた。筒状のMRIに比べると画質は劣るらしいが。

肩の痛みの原因は、①生まれつき関節が緩く、②前側の靱帯が伸びていて、③関節内部に損傷があること(関節唇が一部剥離)だった。治療の選択肢は、引き続きリハビリでインナーマッスルを鍛える保存療法と内視鏡で損傷部位を修復する手術の2つ。手術した場合、リハビリは半年ほど続き、完全復帰には1年ほどかかるという。これは左腕を骨折したときと同じタイムスパンだ。

現時点では保存療法を選択することにした。今年の12月と来年の3月、ライブに出演することが決まっているからだ。手術をすると1か月は車の運転ができなくなる(骨折したときは2か月運転できなかった)。ということは、高齢の母が助けを必要としても、私は何もできなくなるのだ。内心、「そっちの方が楽なのでは?」と思ったが、とりあえずリハビリを頑張ることにした。痛みさえ治まればテニスをしても問題ないらしい。どうやら私のQOLはテニスとギターが鍵のようだ。

ギターといえば、先日、初代師匠に「今ゲイリー・ムーアやってるんだよ」と話したら、「じゃあ、筋トレもしないとね」と言われた。「どゆこと??」と尋ねると、「ゲイリー・ムーアってすっごい筋トレしてるからムッキムキだよ」と教えてくれた。もしや、ゲイリー・ムーアも肩が緩いのでは?(たぶん違う)

筒型とオープン型のMRIの違い
引用元:Cleveland Clinic


2023年8月25日金曜日

コロナあります

新型コロナウイルス感染症に感染してしまった。どこで感染したかは定かではないが、だいたいの見当は付いている。なぜなら、私は普段ほとんど家にこもっているからだ。出かけるのはスーパーくらい。しかも無言で買い物をしてセルフレジでキャッシュレス決済、無言で店を後にする無愛想な客に徹している。

実家に高齢の母とがん患者の弟がいる私は、昨今の感染者増加を受けて、屋内施設ではマスクを着用していた。しかし、手洗いやうがいがちょっとおろそかになっていたのは確かだ。反省しても遅いけど。

発症から現在までを時系列でまとめてみる。診察してくれた医師によると、症状が出た日を0日目とカウントするらしい。

0日目。朝起きた後「喉がちょっとイガイガするなあ」と思った。扇風機付けっぱなしで寝ていること、よく口を開けて寝ていて喉がガラガラになることがあるのでスルー。ちなみに、このとき私は実家にいた。高齢の母と肺がんの弟と一つ屋根の下にいたわけだ。昼過ぎ、ちょっと鼻がムズムズし始めた。「この部屋掃除してなかったな」くらいでスルー。この日は1日中部屋にこもってギターを弾いていた。夜、何度か咳が出た。ここで嫌な予感がよぎる。熱を計ると平熱。福岡にいる夫に「風邪のような症状はないか?」とメッセージを送ると「喉がイガイガする。熱はない」と返事が来た。

私はこれまで幾度となく「感染した場合の自宅療養プラン」を脳内でシミュレートしてきた。なかでも重要なのが食糧の確保。幸い、実家は米だけは潤沢にある(米しかないとも言える)。ネットで読んだコロナ体験談で私をビビらせていたのが「喉が切り裂かれるような痛み」「唾を飲み込むだけで喉に激痛」「目が開けられないほどの頭痛」だ。深夜近くになって、ひとけのなくなったコンビニでゼリー、そうめん、アイスクリームを買い込んできた。弟にSMSで「コロナかもしれない。今から隔離開始する」と通知。この時点で体温は36.9度。微熱にも至っていない気がするが、すごく嫌な予感がしていたのだ。翌日やる予定だった仕事を午前2時近くまでかかって訳して納品。メールの自動返信を設定。

1日目。起床後すぐ検温。38.1度。夫も発熱したらしい。すぐさま最寄りの発熱外来を予約。この時点で出ている症状は軽い咳、軽い鼻水、熱、節々に軽い痛みだけである。発熱外来では車に乗ったまま検体採取、電話で症状を聞かれ、検査結果も電話で伝えられた。ストレス性胃炎で受診していた病院だったので、先生も私の事情をだいたいご存じで「今ご実家ですか? じゃあ、お母さんいらっしゃいますよね? あなたは大丈夫だと思うけど、お母さんの方を隔離した方が安心かもしれないですね」と言われた。5日目までは他の人にうつす可能性があるので外出を控えるよう指示された。

家に戻るとまず車の中を消毒。母に「コロナだったから私に近寄ってはいけない。話しかけるのも控えてほしい。私はいないものと思って生活してくれ。何もしてくれなくていいし、お母さんにできることは何もない!」とだけ言い部屋にこもった。夫も陽性だった。

この日は「普通の風邪と同じ」状態で、起きているのはだるいが食欲も旺盛、喉の痛みがないので何でも食べられた。解熱剤はよく効いたのだが、薬が切れると39度近くまで熱が上がる。特に夜になると熱が上がる。熱が出ると猛烈にお腹が空く。味覚異常なのか、カップ麺が異様に塩辛く感じられて食べるのに難儀し、結局ふりかけをかけただけのご飯をもりもり食べた。母が何度も「ご飯は? お風呂は?」と話しかけてくる。ドアに「開けるな。入るな。風呂は入らん」と書いた紙を貼った。

2日目。起床時の体温は37.5度。症状に頭痛(厳密には目玉が痛い)が加わった。できるようなら仕事をしようと思っていたのだが、目が痛くてモニターを見ていられない。アセトアミノフェンを処方されていたのだが、頭痛に効かない。食欲は変わらず旺盛。母が何度も「ご飯は?お風呂は?」と聞きに来る。貼り紙効果ゼロで、これには心底困った。常時窓をちょっと開けて扇風機を回して換気はしているとはいえ、私の部屋にはウイルスが浮遊しているのだ。こういうときにショートステイに預けられたら安心なのだが、家族がコロナに感染していたら受け入れてはもらえないだろう。普段は、自分の車で実家に来ているのだが、今回は夫と一緒に来て、夫が乗って帰っていたので身動きが取れない。車さえあれば福岡まで運転できるくらいの状態なのだが。

ちなみにお風呂については、浴室の使用時間帯を家族と大幅にずらすため、昼前にシャワーを済ませ、浴室と脱衣所の窓を開けて換気扇と扇風機をブンブン回して換気していた。

夕食はデリバリーのカレー。ここで味覚と嗅覚が死んでいることに気付く。エッセンシャルオイルをくんくん嗅いでみたが、何のにおいもしなかった。においに敏感な私にとってはまことに驚きの感覚だった。仕事はボリュームの少ない定期案件だけ受けた。

3日目。起床時平熱。他の症状は前日と同じ。頭痛が治まらない。朝早くに夫から「今から迎えに行くから」とメッセージ。バタバタと荷物をまとめる。とにかく、母が大きな問題だったのだ。感染のリスクを正しく理解できていないのか、一応マスクはしているものの鼻は出ているし、「お母さんにうつったら、お母さん死ぬよ?」と言っても「もう死んでもいいもん」と卑屈パワー全開だ。私が懸念しているのは、母ではない。弟なのだ。こう言っちゃなんだが、私だって母が死ぬのは構わない。ただ、これまでのがん治療が想定しうるベストを上回る効果を上げている弟を犠牲にするわけにはいかないのだ。

母がいるリビングのドアを10㎝ほど開けて「お母さん、帰るから。また来月来るよ」と言うと、見送りに出ようとしたので「動くな!」と制して急いで家を出た。

自宅に戻ってイブプロフェンを飲んだらあっさりと頭痛が止まった。仕事は定期案件だけ、30分ほど。寝ているときに咳が出るとなかなか止まらず目が覚めてしまう。

4日目。平熱。夜中何度か咳き込んで目を覚ましたうえに、午前4時半ごろ猛烈な空腹感で起きてしまう。トーストとご飯を食べて(炭水化物しか受け付けない)5時前から仕事をした。味覚と嗅覚は死んだままだ。何を食べても味がしない。味がわからないから酒を飲む気もしない。考えようによっては健康的だ。

こういう具合で、私は「ただの風邪」とまったく変わらず、ごくごく軽症で済んだ。本当にコロナだったんだろうか?と疑いたくなるほどだ。ちなみに、夫はまだ発熱が続いており、喉の痛みがひどくなっているらしい。

今回の騒動では、母には本当に手を焼いた。不幸中の幸いというか、私は母と微妙な関係のため、あまり話をしない。二人でご飯を食べていても普段からほぼ無言だ。食べ終わると食器を流しに運び「洗っといて」と言うだけ。この希薄な母娘関係が感染防止に大きく寄与した。弟が残業続きだったのも幸いした。ただ、希薄な母娘関係なのに、病気の娘に何とかして構いたいという母の承認欲求が大きな障害となった。

今後への課題として、やはり母がどんなに拒否しようともショートステイを体験させることが不可欠かもしれない。要介護1になったこともあって、ケアマネさんや通所リハビリの担当者さんも説得してくれたのだが、本人が頑として拒否するのでしばらくは介護サービスの追加を見送ることにしていた。それでも、私のぎっくり腰や新型コロナ感染でまず問題になったのが母だった。

それにしても、嫌がる年寄りをショートステイに行かせる良い方法はないものだろうか? この件に関しては毎回言い合いになってしまう。叩いて言うことを聞かせたら楽かなあ?と頭をよぎる。そして、私を叩いて言うことを聞かせていた母は楽だったのかなあ? 一瞬でも躊躇しなかったのかなあ? 罪悪感とかなかったのかなあ?と思う。