2016年10月に肺がんが見つかり、12月上旬に手術を受け、術後5日で退院という超スピード回復で周囲をあっと言わせた父。その後、3月の検査では異常は認められず、本人も家族も何事もなかったかのように平穏な生活に戻っていた。父は80歳目前であるにもかかわらず、電気工事の仕事くらい屁のカッパというくらいに元気いっぱいだった。ところが、6月の検査では転移と思われる影がCTスキャン画像で見つかった。
数日後には、がんなのかどうかを確認するためにPETで全身をスキャン。頭部CTで脳への転移がないかも確認することとなった。同時に、切除したがん検体の遺伝子検査もするという。「転移の可能性が疑われる」と診断を受けてから数日は、いつもよりちょっとだけ元気がなかったらしい。
PETスキャンの結果、リンパ節への転移が確定した。間質性肺炎があるため放射線治療は不可能。転移箇所がリンパ節内だけとはいえ複数箇所に及んでいるため、手術による切除も現実的ではないとのこと。抗がん剤治療にも間質性肺炎を増悪させるリスクが1割程度あり、と説明を受けた。ただし、高齢のため転移したがんが進行しない可能性も高く、その場合は症状が出ないまま寿命を全うできるのではないかと。私が受けた印象としては、病院側は75歳以上の患者への抗がん剤治療はあまり積極的には行っていない様子だった。
現時点でまったく症状がでておらず、快適にハツラツと生活できている。敢えて抗がん剤治療を行うのはQOLを下げてしまうからと経過観察をすすめられ、本人も家族もそれに同意。検査のための通院は、3か月おきから毎月に変更になり、私が毎月佐賀に帰って同行することになった。
7月の末に転移確認後初の検査、8月初めに結果を聞きに病院へ。腫瘍マーカーの数値が著しく上昇していた。CTスキャンの画像でも、前月に比べると、がん細胞が明らかに(1センチ以上)大きくなっていた。医師からも「転移したがんの進行が思っていたより早いようですね。幸い体力がおありですから、抗がん剤治療も考えてみましょう」と説明を受けた。「アブラキサン」という抗がん剤を使うらしい。ちなみに、森喜朗に奇跡の回復をもたらしたと話題の「オプジーボ」は、間質性肺炎の患者には使えないらしい。初回投与時のみ2泊3日の入院、その後は外来で点滴を受けるのみ。週に1回の点滴を3週やって、1週休み。これを6セット繰り返すが、中には予防的に1年以上投与している人もいるらしい。最も懸念される副作用は、間質性肺炎の悪化らしい。倦怠感や食欲不振は人によっては程度がかなり違うらしい。2回目、3回目以降に副作用が顕著に出る人が多いそうだ。
すべての説明を受けた後、父に「どうする?」と聞くと、「ん?受けるよ!」と即答。その横で母は「私は転移とか再発とかしても、何もしない。治療は断固拒否する!」と言い張る。この2人は、生に対する執着というか、モチベーションが天と地ほど違う。それだけでなく、「深刻な事態」に対する反応もまるで違う。母は「深刻な事態にもっとより深刻に」反応してしまうが、父は「深刻な事態もかる~く」受け止め、ときには適当にスルーしてしまう。「適当に」といっても、決して「適切に」ではなく、不適切なことも少なくないタイプだ。
担当医には「抗がん剤治療は体力第一です。しっかり食べて体力落とさないようにしましょう」と言われ、病院の帰りに立ち寄ったおそば屋さんで私よりもたくさん食べていた。冷凍庫にはハーゲンダッツがびっしり並んでいた。治療の方は今月下旬からスタートすることが決まった。様子を見るために、1週おきの投与らしい。
さて、転移が判明して以降、私は内心地味にダメージを受けている。しばらくはちょっと眠れなかったくらいだ。おそらく、抗がん剤治療を受けても、受けなくても、何かがずっと引っかかるのだろうし、生き死にの問題に正解はないのだろう。近しい親戚からも電話でいろいろ聞かれたりしたが、幸い「怪しい民間療法」をすすめる者は1人もいなかった。
ところで、父は先月めでたく80歳になったのだが、確か、ひいじいちゃんが胃がんで死んだのが80歳のときだ。私の記憶では、80歳のひいじいちゃんは干からびたミイラみたいなジジイだった。死ぬ直前の姿だから無理もないが。それに比べ、父は丸々と肥えてよく動く。