地元が大雨で水没する様子を伝えるニュースを見ながら、「あそこが水没していると言うことは、あの人の家が孤立しているんじゃないか?」などと考えているときに友人T君の訃報が届いた。もちろん、大雨とは無関係だ。
そのときは淡々と受け流した。人は必ず死ぬものだし、今年も親戚が亡くなった。友達が死ぬのも初めてじゃない。地球の歴史からすれば検知できないほどの誤差で、私もそのうち死ぬのだ。100年後は家族も友達もみんないなくなっているのだ。
それなのに、とても悲しい。彼は初恋の相手でもなければ、親友でもない。それなのに、とても悲しい。彼とは幼稚園が一緒だった。小学校も一緒だった。中学校も一緒だった。高校は違ったけど、彼も私もバンドをやっていた。しょっちゅう顔を合わせていたし、そのたびにくだらない冗談を言ってワーワー騒いだ。ただそれだけの友人だ。
大人になっても何度か会った。酒を飲みながら、やっぱりくだらない冗談を言ってワーワー騒いだ。いつ会っても、彼は子供のときと同じ、ちょっとお節介でみんなの人気者だった。生死に関わる病気を乗り越え、地元で弱い立場にある人たちをサポートする活動を続けていた。8年前、東日本大震災の直後、福岡で開催された復興イベントのライブに出ると聞き、冷やかしに行った。15年ぶりに会った彼は相変わらず歌が下手だった。別れ際に「またね~!」と手を振ったとき、それが最後になるなんて思わなかったし、そのうちどこかでまた会えると思った。
別の友人Mが亡くなったときも、私はその知らせを淡々と受け流した。何年も後に車の中からカセットテープが出てきた。17歳のときにスタジオで録音したテープをMが送ってくれたものだった。車を運転しながらMの歌声を聴いていると、涙がぼろぼろこぼれた。車を停めて声を上げて泣いた。私は40歳をかるく超えていたし、Mはもうこの世にいない。でも、カセットから流れてくる17歳の私たちの音と声は、世間知らずで無謀で、暴力的なほど輝いていた(ように聞こえた)。
人気者のT君のために、盛大なお別れの会が開かれるらしい。まるでロックミュージシャンじゃないか。彼のSNSには、たくさんの人が早すぎる別れを惜しむコメントを寄せていた。もう、マジでロックミュージシャンみたいじゃないか。私は行かないが、彼が好きだった浜田省吾を聴きながらお別れをしよう。そして近いうちに、昔一緒にワーワー騒いだ友達と、ワーワー騒ぎながらMとT君のことを語り合おう。
みわ、つとむ君がそっちに行くよ。