鮎川誠、2023年1月29日没、享年74歳。
まこちゃんの訃報を知ったのは1月30日の夕方5時頃だった。親戚の葬儀に出席した私と夫は、早めに外で夕食を済ませてしまおうとサイゼリヤにいた。いつものように山のように料理を頼み、仕事のメールをチェックし、SNSを開いた瞬間、そこに現れたまこちゃんのモノクロ写真。「ひゃ!」と小さく叫んでスマホの画面を夫に見せる。夫は大きなため息をつくとうつむいてしまった。テーブル一杯に並んだ料理を、ふたりとも無言で口に運び、ボロボロこぼれる涙をティッシュで拭いながら食べ終わると、そのまま無言で帰宅した。夫はその後、何時間も無言のまま、ただひたすらこれまでに撮ったまこちゃんの写真を見ていた。
2018年に、飲食店の駐車場でばったり遭遇して握手してもらった。「そういえば、20年くらい前にライブ行ったなあ。また行ってみよう」と軽いノリでシナロケのライブに行った。脳天を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。トークショーで「間違えたらどうしよう?なんて考えるのはロックじゃなかよ!」というまこちゃんの言葉を聞いて、ほったらかしにしていたギターをまた弾き始めた。そして去年、思い切ってギブソンのレスポールを買った。次のライブでお話しできたら「私もレスポール買いました!」と報告したかった。福岡、佐賀、熊本、大分。行ける限りライブに行った。どのライブもまこちゃんのパーソナルベストだった。
2022年8月、福岡県久留米市の石橋文化センターで「サマービート2022」というライブイベントが開催された。1966年に高校生のまこちゃんが初めて人前で演奏した場所だ。そのとき、2月のライブで見たときより明らかに痩せているのが気になったが、猛暑ということもあって、夏痩せなんだろうと思った。このときはサンハウスとして、シナロケとして、合計3時間を超えるライブでいつもどおり、いや、いつも以上に熱く会場を沸かせてくれた。
同年10月1日、福岡で見たまこちゃんは8月よりもさらに痩せていた。10月2日に別府で見たまこちゃんは鬼気迫る演奏だった。きっと、痛みだってあっただろう。それなのに絶句するほどすごいギターだった。終演後、ライブハウスを後にするお客さんはだれもがため息交じりで「すごかった!」と口にしていた。「すごかった」としか言いようがない演奏だった。それと同時に、「鮎川さん、すごい痩せてたけど大丈夫かな?」という声も聞こえた。
10月22日、シーナの故郷、福岡県北九州市若松区で開催された高塔山ロックフェス。シナロケの演奏が始まって3曲目だったか、ギターソロに入った瞬間、照明が全部落ちた。ステージが真っ暗になってもバンドはまったく動揺することなく、いつもに増して熱い演奏を続けた。観客がスマホのライトでステージを照らす。緊急用の照明だけの薄暗いステージでも、何一つ変わらない。「レモンティー」が始まると照明が全部復活した。会場のボルテージがこれ以上ないほど湧き上がる。他の出演ミュージシャンも交えてのアンコールでは、元ルースターズの大江慎也がサイドギターを弾く。いつも気難しそうな顔をしている大江慎也が、少年のように嬉しそうにギターを弾いていた。そして、この日がまこちゃんを見た最後となった。
12月、鮎川誠急病という知らせに胸騒ぎを感じつつ、祈ることしかできなかった。ウォーキング中に立ち寄った神社では、家族や自分の無事など何一つ祈らず、ただ「私の寿命を5年くらいあげますから、まこちゃんを連れて行かないでください」と祈った。神社を見かけると毎回、同じことを祈った。その後もライブのキャンセルが続いた。
1月30日。私の世界からしばしの間、色と音が消えた。
1月31日。まこちゃんがいなくなった世界でも朝は来るし、世界は昨日までと変わらず転がり続ける。私には今日中に訳さなければならない原稿がある。月末だから請求書だって作らなければならない。
これからもずっと握手してくれたときの大きな手の温かさを忘れない。「明日のライブも行きます!」と言ったときに「うわー!明日も来てくれるとね!楽しみやねー!」と言ってくれたあの笑顔を忘れない。どんなに悲しくても、どんなに世界が理不尽でも、生きている限りロックしようぜ。それがまこちゃんとの約束だから。
We must keep on Rockin'!