2023年4月28日金曜日

Long time no see!

アメリカに住む叔母が娘2人を連れてやってきた。厳密には母のいとこなのだが、便宜上「叔母」、その娘を「従姉1」「従姉2」とする。

叔母は2年前からふるさと福岡を訪れたいと言っていたらしいが、コロナ禍で外国人の入国が制限されていたため、ようやく今年になって実現したというわけだ。

私は従姉たちとFacebookのMessengerで連絡を取り合った。日本は4月の末から「ゴールデンウィーク」と呼ばれるホリデーシーズンでどこもかしこも混雑すること、宿泊施設は争奪戦になる可能性が高いことなどを伝えた。本当は桜のシーズンに来るつもりだったが、航空券があり得ないくらい高いうえに、まともな値段のホテルが空いていなかったため、ひと月ずらしたという。

叔母は福岡でウェイトレスをしていたときに知り合った在日米軍パイロットと結婚し、従姉1が生まれてまもなくアメリカに渡った。その後、美容師になり、今も週に2回、美容師の仕事をしているらしい。渡米後は数えるほどしか帰国していない。10回にも満たないのではないだろうか。結婚した時点で英語は問題なく話せていたので、渡米後も言葉で苦労することは少なかったという。ただ、日本人であるために差別されることが多く、娘2人は英語だけで育てた。そのため、従姉1、2ともに日本語が話せない。

学生のころ叔母の家に数日滞在して、日系人コミュニティの人にも会ったのだが、年配の方の中には英語が話せないままという方もいた。子供とはコミュニケーションが取れても、孫とは会話が通じないという人も多いと聞いた。

ちなみに、叔母が叔父と知り合ったレストランは今も同じ場所で変わらず営業している。突然訪れた3人を3代目のオーナーが出迎えてくれたという。叔母はその店で覚えた料理を渡米後も作り続け、従姉たちは「Momの料理と同じだった! すごくない?」と興奮していた。

従姉1は米国財務省の官僚をしていたのだが、昨年アーリーリタイアをした。従姉2は専業主婦。2人目を出産後、育児と仕事の両立がうまく行かずに悩んだ挙げ句専業主婦になる道を選んだ。従姉たちが最初に日本に来たのは、小学生のころだった。そのときに私も会っているのだが、当時のことについて後に「みんなが知らない言葉を話していて、見たことのない食べ物ばかりでとても困った」と言っていた。20年後に日本に来たときは、言葉は通じないままだったが、日本の家庭料理を堪能していた。

今回は2人ともスマホを駆使して交通機関を利用している様子だった。従姉1、2ともに日本という国にさほど関心がないように思えるのだが、2人の子供たちは若干とらえ方が違っているようで、いわゆる、日本のソフトコンテンツにハマっているらしい。娘たちは日本食や日本のスイーツに、息子たちはガンプラにハマっているそうだ。子供たちは祖母が生まれた国としてよりも、もっとカジュアルな目で日本を見ているのだろう。

私にはちょっと気になることがあった。日本の物価だ。昨今、食品や光熱費を中心に値上がりが続く日本だが、長い目で見ると30年前に比べて倍になっているわけではない。30年ぶりに来日した彼女たちが日本の物価をどう感じるのだろう?と興味を持っていた。彼女たちは「日本は何もかもリーズナブルよね。円が弱いからかなあ? 前来たときは、なんて物価が高い国だ!ってビックリしたけど」と言っていた。コンビニで売っているドーナツの値段にも驚愕していたし、味にも驚いていた。

「街中にも緑が多くてきれい。それに、すごーくクリーンよね! 本当に、どこもかしこもクリーン!」「ちっちゃい車がたくさん! かわいい! 私もああいうミニミニバンがほしい。アメリカの車はデカすぎ。スーパー行くだけなのに」「プリウス最高!」「子供たちだけで登下校するんでしょ? すごいよね! 学校が安全な場所って素晴らしいよ」「アメリカの日本食、ちょっと高すぎ。もう全部がアップスケールよ。息子がみそラーメン食べたいって言うから食べに行ったら50ドルよ! ラーメンってそういう食べ物じゃないよねえ?」「アメリカなんでも高すぎだよ。カリフォルニアは特にクレイジーだよ。卵1ダースで10ドルよ! ガソリンだって1ガロン5ドル超えたし!」「就職難*とかレイオフとかで大変」「気候変動のせいなんだろうけど、大雨か干ばつかのどっちか。今年は雨が多くて大変だった」「日本に来ると、アジア系の私たちは溶け込めるから快適。みんな私たちと同じくらいの大きさだし」「ほんとに実物大のガンダムがあるの?」

機関銃のように喋り倒す従姉たち。アメリカで就職難というのは意外だったが、一部職種(おそらくIT関連)を除き、仕事を見つけるのが大変、見つけてもベイエリアでは家賃が高すぎてアパートも借りられない(来月大学を卒業する息子の就職が決まらない)、コロナ禍の影響もあり大量レイオフが行われている(大手メディアで働いていた娘がレイオフされた)など、なかなか厳しい情勢のようだった。

約3時間、昼食を囲んで過ごしたがあっという間だった。喋りっぱなしで耳鳴りがしたほどだ。叔母ファミリーが帰った後、「楽しさ疲れ」した母はしばらくベッドに横になっていた。母にしてみれば、叔母にはもう会うことはないだろうと諦めていたらしい。

一方、叔母と従姉たちはテクノロジーの進歩で格段に旅がしやすくなったことに感動し、「もっと頻繁に日本に来たい! 来年は日本食フリークの娘たちを連れて来る!」と言っていた。

従姉たちと一緒に近所のセブンイレブンまで歩きながら、「そういや、彼女たちが初めて日本に来たときに、こうして3人で近所の駄菓子屋さんに行ったな」と思い出し、なんとも言えないエモい気分になった。あのときは2人と通じ合う言葉がなく、ただ黙ってひなびた駄菓子屋まで案内しただけだったが、今回は3人でワーワーお喋りしながら、ゲラゲラ笑いながら、すごーくクリーンなセブンイレブンへと向かった。


* 就職難であるのと同時に、人手不足でもあるらしい。日本と同じく、サービス業の人手不足は深刻だという。