2023年7月6日木曜日

母とくらせば その2

2020年に父が亡くなってからめっきり弱ってしまった母だが、去年から息苦しさを訴えることが増えた。いわゆる過呼吸なのだが、検査をしてもどこも悪いところがない。過呼吸が始まるとたいそう辛そうだし、苦しさのあまり何を言われても冷静になれず、ますます苦しくなるという悪循環だ。そうなると、病院に連れて行くしかない。

母は体に出ている症状(過呼吸)が心理的要因から来るものだと理解できないため、「苦しい=身体がどこか悪い」としかとらえられない。動いたときの動悸と、不安感が強くなったときの息苦しさの区別ができない。どちらも同じ、「苦しい」という症状なのだから。だから病院で「どこも悪くないですよ」と言われると、「そんなわけない。だって、こんなに苦しいんだから!」と腹を立てる。

今回は、5月下旬からひと月ほど入院していた。退院後すぐに心療内科を受診させた。これまでに何度か検討したものの、本人が受診の必要性を理解していないと逆効果になることが多いと主治医に言われ、受診に至らなかった。今回はさすがに本人も納得したようだった。

ところが、高齢者となると受け入れてくれるクリニックが少なくなる。最寄りのクリニックでは高齢だからと断られた。結局、主治医が探してくれたクリニックへ連れて行ったのだが、問診票に記入するのも一苦労だった(書くのは私)。本人が自分の状態(主に感情面)を理解しきれていない。認知機能に問題があるのではなく、自分の感情を顧みるという習慣がそもそもないのだ。「悲しいですか?」と問われたところで、「悲しいときもあればそうでないときもある」と、万事がそんな感じだった。

心療内科での診察で、内科で処方されている抗うつ剤の量が少なすぎること、頓服用の抗不安薬が必要であること、過呼吸で入院をする必要はないことを説明された。抗うつ剤の量を倍にし、10回分の抗不安薬を処方されたのだが、不思議なもので目の前に頓服が用意されたことで母の状態も落ち着いてきた。

とはいえ、生活を共にする者として、私と母の相性が最悪であることに変わりはない。私は来る日も来る日もガミガミと小言を言う、母はさらに卑屈に、頑なになる。そして私の小言が本当に、母が私にガミガミ言っていたときの口調そのまま、なんなら言葉も同じなのだ。そこまで刷り込まれているとは、いったいどれほどガミガミ言われてきたのだろうか。

週末、我が家に滞在していた夫が「娘にこんなにガミガミ言われたら、お義母さんが頑なになるのも無理ない」と言う。その言葉にキレそうになった気配を察してか、「放っておいても大丈夫だよ。脚が悪くて家から出られないんだから、命の危険は少ないやろ? 自分に何ができて何ができないか理解してもらうには、君が先回りしてあれもこれもやるんじゃなくて、放っておきなよ」と言うのだ。

退院して2週間、ようやく少しずつ家事をやるようになってきた。といっても、母がやれる家事は3つしかない。洗濯物を畳む、食器を洗う、米を研ぐの3つだ。もちろん、よいことばかりではない。老化のスピードは加速しており、トイレに行こうにも間に合わないことが増えた。それなのに、パンツタイプの紙おむつや尿漏れパッドは必要ないと言い張る。そのことで毎日喧嘩だ。

朝起きると、「今日も母を殴ることなく一日終えられますように」と祈り、夜寝る前に「今日も母を殴ることなく一日終えられた」と安堵する。そしてその度に、「なぜ母はいとも簡単に私を叩いたのだろうか?」と疑問に思う。私は母が嫌いだ。でも、一度も叩いたことはない。今のところ。母はどういう気持ちで幼い私を叩いていたのだろう?