2021年11月30日火曜日

キープ・オン・ロッキン!

BGMが消えて暗くなった会場にロケットエンジンの音が響き、カウントダウンが始まる。ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン、ゼロ! 目に飛び込んでくるスポットライトの光。煙草をくわえ、塗装が半分近くはげてしまった「ブラックビューティー」を抱えてあの人が現れる。電源が入ったままシールドを突き刺されたことにガリガリと抗議するマーシャルを無視して、アンプのつまみをすべて、ためらうことなく10に合わせる。スピーカーのハウリングが客をあおる。彼の名前は鮎川誠、通称まこちゃん。福岡出身のロックバンド、シーナ&ザ・ロケッツのギタリストだ。

はじめて彼の演奏を聴いたのは20数年前。無骨で真っ直ぐなギターサウンドが、人生の谷底にいた私のハートに一瞬で火をつけた。

数年前、福岡空港近くで彼の姿を見かけた。思わず駆け寄り、小声で「がんばってください」と声をかけると、「はい、ありがとうね」と温かい手でしっかりと握手してくれた。

元ロックバンドのギタリストである知人にこの話をすると、「俺さ、昔サンハウスと何度か一緒にライブ出たとよ。鮎川さんはシャイで優しい人やった。ギターの腕前はともかく、ステージに立つ姿に圧倒された。あんなにギターが似合う人はおらん」と熱く語った。同じく元ギタリストである夫は、「大学のときにフェスでシナロケ観て、ホテルまで追っかけてサインもらった。嫌な顔するどころか、わー、博多から来てくれたとね? ありがとう!って。鮎川さんは優しい人やけん」とうっとりした口調で語った。

彼の何がそこまで男たちを(もちろん女たちも)虜にするのだろうか。もう一度、自分の目と耳で確認しよう。

2018年2月、福岡市内のライブハウスは年季の入ったファンでいっぱいになった。だれもが飛び跳ね、歌い、踊る。ステージ上のまこちゃんは満面の笑みでギターを鳴らす。ライブが始まる瞬間まで、私は少しだけ案じていた。いくら現役とはいえ70歳だ。20年前に比べたら少しは、いやかなり衰えているかもしれない。実際に観てしまったらがっかりするかもしれない、と。ところが、そんな心配は最初の一音で吹き飛び、全力疾走のロックに脳の芯がじんじんシビれた。

それからというもの、私は夫とともにシナロケを追っかけている。

あるトークイベントでまこちゃんが言った。「ロックは生ものやけん。そのときの気分でジャーンと鳴らす。それがロックたい。間違ったらどうしようとか考えん。そんなのはロックじゃなかよ」

私は押し入れにしまい込んでいたギターを引っ張り出し、さび付いた弦を張り替えた。下手くそでもオッケーなのだ。ロックは生ものなのだ。今日のロックを鳴らすのだ! ギターにミニアンプをつなぎ、つまみをフルテンにする。キーンとノイズが響く。あわててすべてのつまみをスッと5くらいに下げる。そして1時間も弾くと飽きてギターを置く。

まこちゃんはロックに夢中になった学生時代の話をよくする。レコードを聴くためにプレーヤーのある新聞部に入ったこと。ビートルズが福岡空港に立ち寄るという噂に踊らされてバイクで見に行ったこと。修学旅行の積立金を返してもらってギターを買ったこと。筑後川近くの農家の納屋で初めてのロックバンド体験をしたこと。

田んぼが広がる真っ平らな筑後平野。私が子供のころから見続けてきたあの景色だ。風の匂いも湿度も手に取るようにわかる。彼のギターサウンドに惹かれてしまうのは、あの景色を知っているからかもしれない。

まこちゃんはまるで昨日の出来事を話すように、60年代、70年代のロックやブルースを語る。80年代のニューウェイブパンクを、博多の、そして日本のロックシーンを語る。私たちは、朴訥な語り口で授けられる極上の「ものがたり」を通して、彼を虜にしたブルースやロックを追体験するのだ。マディ・ウォーターズ、チャック・ベリー、ビートルズ、ストーンズ、ラモーンズ。白人が支配する社会で虐げられる黒人の怒り。大人社会のルールに反発する若者のエネルギー。筑後弁と博多弁と若松弁が混じった鮎川弁で語られる「ものがたり」に私たちは酔いしれ、ある者は「16歳の女子高生」に、またある者は「20歳の大学生」に戻ってしまう。だれもが「あの頃の自分」に戻るのだ。

ライブの終盤で毎回演奏する『アイ・ラブ・ユー』という曲がある。曲の出だし、まこちゃんの「せーの!」に続いて全員があらんかぎりの力と愛をこめて「アイ・ラブ・ユー!」と叫ぶ。私と夫が人生で一番たくさん「アイ・ラブ・ユー!」と伝えた相手は間違いなく鮎川誠だ。かつては怒りを表現していたロックで、今は愛を伝えている。

こうして私は人生ではじめて「会いにいける推し」を見つけた。まこちゃんは72歳になった今も激しくギターを鳴らし続けている。まこちゃんがロックする限り、どこまでもついていこう。キープ・オン・ロッキン! イェー!


*2020年11月に受講した文章講座(西南学院大学の生涯学習講座)で書いたエッセイです。オリジナル原稿は縦書きフォーマットだったため、今回、横書きフォーマットに一部表記を修正。

2021年11月29日月曜日

キミは輝いているか?

夫が30数年ぶりにステージに立った。

ことのはじまりは10月、別府で行われたシナロケのライブ会場でのことだ。会場をきょろきょろ見回していた夫が「後ろにいる人、どうも一緒にバンドやってた友達に似てる。でも、おっさんになってるから確信が持てない」と言う。「大丈夫、キミもおっさんだ。しかも、倍くらいに太ってる。むこうも確信持てずに困ってると思うから、キミから声をかけるのだ!」と背中を押す。別府は夫が大学時代を過ごした街だ。友達がいても不思議はない、つーか、前回もいたんじゃないの? ちゃんと周り見てた? はたして、バンド仲間であったようで、後ろからおっさんたちのはしゃぎ声が聞こえてきた。ライブ後、11月に開催されるサークル(軽音楽部)の同窓会ライブに出ないか?と声をかけてもらい、30数年ぶりにステージに立つことになったのだ。

それからというもの、夫は猛練習をした。家事をおろそかにして猛練習をした。私の仕事がどんなに忙しくても構うことなく猛練習をした。おかずがちょっと減った。なぜそこまで猛練習をしたかというと、普段は座って弾いているので立って弾けなくなっていたのだ。ギターを弾く人にはわかってもらえるはずだが、座って弾くのと立って弾くのでは全然違うのだ。そして、本番3日前になり、猛練習したのとは違う曲を演奏することが決定した。笑い転げる私を尻目に、さらに3日間猛練習をした。

ピークを越えたとはいえ、コロナ禍モードでの開催である。入場者数も制限された。当然、全員マスク着用だ。30数年ぶりに会う人ばかりだというのに、顔の半分は隠れている。風貌も大きく変わっている。しつこいようだが、夫は倍くらいに太っている。たいそう驚いた人もいたようだった。

夫がステージで演奏する様子を生で見るのははじめてだった。練習の甲斐もあって、なかなかよい演奏だった。私も最前列でぴょこぴょこ飛び跳ねながらバンギャの務めを果たした。もっと大きな音出せばいいのにと思ったのだが、PA側で音を絞っていたらしいのでしかたない。ステージ裏でもいろいろと楽しいことがあったようで、夫は今に至るまで終始ご機嫌だ。相変わらず、家事はおろそかなままだが。年に1回くらいライブに出ればいいのに。いや、その前にバンドを組むのが至難の業だな。

今回は、夫婦といえど、相手が輝く姿というのはなかなか見られないものだよなあと実感した。忌野清志郎が「昼間のパパは光ってる」と歌っていたけど、仕事している様子が光っている人は少数派だと思う。少なくとも、仕事をしている私はだいたい眉間にしわを寄せ、ときには怒りながらパソコンに向かっている。全然輝いていない。むしろくすみまくっている。淀んでいる。それでも、夫によると「フルマラソン走ってるときのキミはすごく楽しそうだったよ」ということなので、ほんの数回ではあれ、輝く姿を見せられたということでヨシとしよう。今後、マラソンを走ることはないだろうが。

さて、夫のライブを見て、「私も出たい!」と思った。3年後にまた同窓会ライブを開催するらしいので、なんとかして私もしれっと出られないものか。その根回しをするには、まず夫の友達の顔と名前くらい覚えなければ(そこから?)。道は遠い。肝心のギターはまるで上達しない。おそらく永遠に「ギター歴2か月」程度の腕前のままだと思う。それでも、ギター熱が再燃したので、ぼーっとしている時間があれば練習しよう。たぶん、2か月くらいすると飽きてしまうと思うけど…。


ギター熱が再燃したのと同時に、昔バンドでやった曲をYouTubeで見つけた。なにしろ、私は曲のタイトルをちゃんと覚えないので、よく探し当てたなと自分でも感心してしまった。80年代らしいポップな曲なのだが、あまりにマイナーすぎてだれも知らない。大好きな曲なのだが、この曲を再生すると今は亡きボーカルのMの声で脳内再生されてしまいとても複雑な気持ちになる。Mのことを思い出しながら、すっかり忘れてしまったソロパートの耳コピに励むとしよう。