夫が30数年ぶりにステージに立った。
ことのはじまりは10月、別府で行われたシナロケのライブ会場でのことだ。会場をきょろきょろ見回していた夫が「後ろにいる人、どうも一緒にバンドやってた友達に似てる。でも、おっさんになってるから確信が持てない」と言う。「大丈夫、キミもおっさんだ。しかも、倍くらいに太ってる。むこうも確信持てずに困ってると思うから、キミから声をかけるのだ!」と背中を押す。別府は夫が大学時代を過ごした街だ。友達がいても不思議はない、つーか、前回もいたんじゃないの? ちゃんと周り見てた? はたして、バンド仲間であったようで、後ろからおっさんたちのはしゃぎ声が聞こえてきた。ライブ後、11月に開催されるサークル(軽音楽部)の同窓会ライブに出ないか?と声をかけてもらい、30数年ぶりにステージに立つことになったのだ。
それからというもの、夫は猛練習をした。家事をおろそかにして猛練習をした。私の仕事がどんなに忙しくても構うことなく猛練習をした。おかずがちょっと減った。なぜそこまで猛練習をしたかというと、普段は座って弾いているので立って弾けなくなっていたのだ。ギターを弾く人にはわかってもらえるはずだが、座って弾くのと立って弾くのでは全然違うのだ。そして、本番3日前になり、猛練習したのとは違う曲を演奏することが決定した。笑い転げる私を尻目に、さらに3日間猛練習をした。
ピークを越えたとはいえ、コロナ禍モードでの開催である。入場者数も制限された。当然、全員マスク着用だ。30数年ぶりに会う人ばかりだというのに、顔の半分は隠れている。風貌も大きく変わっている。しつこいようだが、夫は倍くらいに太っている。たいそう驚いた人もいたようだった。
夫がステージで演奏する様子を生で見るのははじめてだった。練習の甲斐もあって、なかなかよい演奏だった。私も最前列でぴょこぴょこ飛び跳ねながらバンギャの務めを果たした。もっと大きな音出せばいいのにと思ったのだが、PA側で音を絞っていたらしいのでしかたない。ステージ裏でもいろいろと楽しいことがあったようで、夫は今に至るまで終始ご機嫌だ。相変わらず、家事はおろそかなままだが。年に1回くらいライブに出ればいいのに。いや、その前にバンドを組むのが至難の業だな。
今回は、夫婦といえど、相手が輝く姿というのはなかなか見られないものだよなあと実感した。忌野清志郎が「昼間のパパは光ってる」と歌っていたけど、仕事している様子が光っている人は少数派だと思う。少なくとも、仕事をしている私はだいたい眉間にしわを寄せ、ときには怒りながらパソコンに向かっている。全然輝いていない。むしろくすみまくっている。淀んでいる。それでも、夫によると「フルマラソン走ってるときのキミはすごく楽しそうだったよ」ということなので、ほんの数回ではあれ、輝く姿を見せられたということでヨシとしよう。今後、マラソンを走ることはないだろうが。
さて、夫のライブを見て、「私も出たい!」と思った。3年後にまた同窓会ライブを開催するらしいので、なんとかして私もしれっと出られないものか。その根回しをするには、まず夫の友達の顔と名前くらい覚えなければ(そこから?)。道は遠い。肝心のギターはまるで上達しない。おそらく永遠に「ギター歴2か月」程度の腕前のままだと思う。それでも、ギター熱が再燃したので、ぼーっとしている時間があれば練習しよう。たぶん、2か月くらいすると飽きてしまうと思うけど…。
ギター熱が再燃したのと同時に、昔バンドでやった曲をYouTubeで見つけた。なにしろ、私は曲のタイトルをちゃんと覚えないので、よく探し当てたなと自分でも感心してしまった。80年代らしいポップな曲なのだが、あまりにマイナーすぎてだれも知らない。大好きな曲なのだが、この曲を再生すると今は亡きボーカルのMの声で脳内再生されてしまいとても複雑な気持ちになる。Mのことを思い出しながら、すっかり忘れてしまったソロパートの耳コピに励むとしよう。