2018年2月19日月曜日

脳天を叩き割れ♪

先々週、インフルエンザにかかって3日間寝込んでしまった。
予防接種をしていたのにもかかわらずである。
病院では「予防接種していたからこの程度で済んでいるんですよ」と言われたが、39度を超える高熱と、目を開けていられないほどの頭痛には参った。
ただし、そんな中でも一向に衰えない食欲。
当然、体重は1グラムたりと減っていない。

インフルエンザの翌週はシーナ&ザ・ロケッツのライブに行った。
昨年、福岡空港の近くにある「天ぷらひらお」の駐車場で鮎川誠に遭遇して握手をしてもらった。
その直後、久留米で鮎川誠69歳のバースデーライブがあったのだが、法事があって行けなかった。
若い頃から好きなミュージシャンというのは自分より年上だ。
大好きだったバンドのメンバーが40そこそこで急死したときに、「生きているうちにライブに行かないと絶対に後悔する」と思った。
シーナが亡くなって間もないということもあって、鮎川誠が元気なうちにシナロケのライブに行かねば!と待ち構えていた。

皆さんの周りに今年70歳になる人はいるだろうか?
70歳というと、結構弱ってくる年頃だ。
いろんな反応が鈍くなるだろう。
動きも若干スローダウンしているだろう。
「もし鮎川誠が20年前のライブで見た鮎川誠より衰えていても、それは受け入れなければ」と、意味不明に悲壮な覚悟を持ってライブに向かった。

まあ、結論から言うと杞憂だった。

鮎川誠は死ぬほどかっこいい。
こんな言葉しか出てこなくて本当に情けないが、「かっこいい」という言葉は鮎川誠のためにあるのだ
会場を埋め尽くしたファンがみんな40代後半以降のおじさんとおばさんばっかりだった。
「世間的に高い立場」にいそうなスーツ姿の紳士もいた。
でも、そんなおじさんもインフル明けのおばさんも、演奏が始まった瞬間、学生に戻ったのだ。
隣には丸々と肥えたおじさん(夫)がいたが、ぴょんぴょん飛び跳ねて歌っていた。
彼もまた、髪の毛を立ててレスポールを弾きながらステージを走り回るギター少年に戻っていたのだ。

鮎川誠は男性にモテる。
もちろん女性にもモテるんだろうけど、鮎川誠に会った男性は全員虜になるようだ。
夫は学生の頃、シナロケが出演するフェスに行き、シナロケが滞在しているホテルまで追っかけてサインをもらったらしい。
「鮎川さんは、バカな大学生のガキどもにもとっても優しい気さくな人だった。博多から来ましたって行ったら、博多から来てくれたとね?遠かとっから来てくれてありがとねー、って言ってくれた」と、その時にもらったサインを今でも大切にしている。
他のミュージシャンは全部呼び捨てなのに、鮎川誠だけは「鮎川さん」と呼ぶ。

私のギターの師匠は佐賀で楽器屋を経営しているのだが、学生の頃セミプロ(今の言葉で言うとインディーズバンド)で、当時サンハウスともライブをやっていたそうだ。
「鮎川さんはとにかく優しくてシャイで、すごくいい人だった。今でもライブで佐賀に来ると会いに来てくれる。偉くなっても全然変わらない。キクさん(サンハウスボーカル柴山俊之)はめちゃくちゃ怖かったけど、鮎川さんは人なつこくて優しくてみんな大好きだった」と言う。
会場の男性も全員、鮎川誠にゾッコンLOVEだったようだ。

シーナが亡くなった後は、娘のルーシー・ミラー(もちろん本名ではない)がボーカルを務めている。
MCでシーナとのエピソードを語る鮎川誠、その姿を横で見守るルーシー。
ルーシーのことをついうっかり「ちえちゃん」と呼んでしまうパパ鮎川。
会場にいるファンはすべてを笑顔で見守っていた。

ティーンの頃、ロックはもっと激しく、ときに暴力的ですらあった。
反権力の象徴でもあった。
でも、シナロケのライブでは満面の笑顔で演奏する鮎川誠の姿に、誰もが安心して笑みをこぼした。
ロックは愛だ。

レスポールかっこいい!