2022年5月24日火曜日

Mr. Teddy Boy

最近、M子のことを頻繁に思い出す。彼女は高校の同級生で、一緒にバンドをやっていた。バンド結成時のいきさつはよく知らないのだが、私はたまたま音楽の時間に簡単な伴奏をしたことがきっかけで声をかけられた(このとき弾いたのはクラシックギターだったと思う。全然弾けていなかったが)。当時、女の子でエレキギターを弾ける子はまだ少なかったのだ(厳密には、持っていただけでほとんど弾けなかった)。高校1年生の冬、超初心者ガールズバンドPowderが誕生した。

放課後、楽器店にたむろし、店員のN村さんにギターやベースを教えてもらう。授業料的なものを払った覚えがないのだが、おそらく、そこで楽器を買ったりスタジオを使ったりするからチャラだったのかもしれない。N村さんは当時20代後半で、元セミプロバンドのギタリストだった。サンハウスとの共演経験もあり、鮎川誠とは友人だ(ということは、最近になってから聞いた)。

最初の数曲はN村さんが私たちにも弾けそうな曲をセレクトして教えてくれた。はじめてスタジオに入って音を鳴らしたときの衝撃は今でも忘れられない。その後は、キーボードでリーダーのE美主導で「なんとか弾けそうな曲」を選ぶようになった。初代ボーカルが脱退し、加入希望者をオーディションしてM子が2代目ボーカルになった。

「弾けそうな曲」と「弾きたい曲」「好きな曲」は往々にして異なるものだ。M子はオールデイズっぽいロックンロールが好きだったが、他のメンバーが興味ゼロだったために却下されていた。

ある日、M子は実力行使に出た。スタジオに来るやいなや、「曲作ってきた! 歌詞も書いた! 楽器のアレンジはみんなに考えてほしい!」とメロディーラインだけを書いた楽譜を叩き付けた。その熱い想いに打たれた私たちは、全員でアレンジを考えた。ライブでこの曲を披露するために、M子は張り切ってオールデイズっぽい衣装を作った。これぞ青春。

M子は40歳を迎える前に病気で亡くなった。それから10年以上経ち、E美からデジタル化したレコーディング音源が届いた。それ以来、私は10代のころに演奏した曲を練習し続けている。M子はもういないけど、17歳の私たちが演奏する最高のオリジナル曲を聴いてほしい。

"Mr. Teddy Boy" Written by Miwako Nanri


この音源を聞いた夫が、「このギターソロ、女子高生が作ったにしてはよくできてるな。ほんとに自分で考えた? N村さんに作ってもらったんやろ?」と言うのだが、覚えていない。でも、不思議なことにこのソロはあっさり耳コピできたので、おそらく私が考えたはず…だと思いたい。