2022年11月29日火曜日

母と暮らせば

弟が入院して以来、実家で母とふたりで暮らしている。

つらい。あまりのつらさに胃炎になってしまった。おまけに腸の調子も不調で先週から病院に通っている。私たちは、私が生まれたときから、ずっと疎遠な親子なのだ。それなのに、いきなりふたりだけで暮らしているのだ。

母にとって結婚生活のはじまりは苦痛に満ちた日々だったという。そしてそのつらい日々の象徴のひとつが私なのだ。若かりしころの母は、「この子さえいなければ、ここから出て行けるのに」と何度も思ったという。そして、そのもどかしさは時に、小さな暴力となって私に向けられた。幼い私は母からできるだけ離れた。母が実家に帰るときは、祖母と留守番をすると言ってきかなかった。私は祖母にべったりくっつくことで自分の身を守った。

弟が生まれるころには母も新しい暮らしに慣れ、気持ちの余裕も取り戻したのであろう。母は弟を可愛がった。弟も母によく懐いた。私が母に叩かれることもほとんどなくなった。

それでも、私はずっと、「叩かれるかもしれない」という小さな恐怖にとらわれたまま大人になった。もう叩かれることはないとわかっていても、ふたりでいるときは常に心の隅っこが緊張しているのだ。母にとって私は「お気に入りではない方の子ども」であり、私にとって母は「親戚のおばさんと同程度あるいはそれ以下の人」のままなのだ。ちなみに私にとっての父も「親戚のおじさんと同程度の人」だった。

母とふたりで暮らすようになってずっと、嫌な既視感がまとわりついてくる。母に対して小言を言うときの私の口調が、あの頃の母と同じなのだ。そして母の私に対する態度が、幼い私の母に対する態度と重なるのだ。彼女はおそらく、「娘の機嫌を損ねると叩かれるかもしれない」と思っているのかもしれない。私たちは鏡なのだ。だからふたりでいるとつらいのだ。

とはいえ、このような重苦しい気分が常に私たちを覆っているわけではない。ふとしたはずみにちらっとかすめて通り過ぎていくと言ったらよいのだろうか。私はできる範囲で親切にしようと心がけている。

心の奥の奥の奥に残ったわだかまりが解けて消えることはないだろう。こうして書いてみると、まだまだ言葉にできるところには至っていないということがわかった。