2023年8月25日金曜日

コロナあります

新型コロナウイルス感染症に感染してしまった。どこで感染したかは定かではないが、だいたいの見当は付いている。なぜなら、私は普段ほとんど家にこもっているからだ。出かけるのはスーパーくらい。しかも無言で買い物をしてセルフレジでキャッシュレス決済、無言で店を後にする無愛想な客に徹している。

実家に高齢の母とがん患者の弟がいる私は、昨今の感染者増加を受けて、屋内施設ではマスクを着用していた。しかし、手洗いやうがいがちょっとおろそかになっていたのは確かだ。反省しても遅いけど。

発症から現在までを時系列でまとめてみる。診察してくれた医師によると、症状が出た日を0日目とカウントするらしい。

0日目。朝起きた後「喉がちょっとイガイガするなあ」と思った。扇風機付けっぱなしで寝ていること、よく口を開けて寝ていて喉がガラガラになることがあるのでスルー。ちなみに、このとき私は実家にいた。高齢の母と肺がんの弟と一つ屋根の下にいたわけだ。昼過ぎ、ちょっと鼻がムズムズし始めた。「この部屋掃除してなかったな」くらいでスルー。この日は1日中部屋にこもってギターを弾いていた。夜、何度か咳が出た。ここで嫌な予感がよぎる。熱を計ると平熱。福岡にいる夫に「風邪のような症状はないか?」とメッセージを送ると「喉がイガイガする。熱はない」と返事が来た。

私はこれまで幾度となく「感染した場合の自宅療養プラン」を脳内でシミュレートしてきた。なかでも重要なのが食糧の確保。幸い、実家は米だけは潤沢にある(米しかないとも言える)。ネットで読んだコロナ体験談で私をビビらせていたのが「喉が切り裂かれるような痛み」「唾を飲み込むだけで喉に激痛」「目が開けられないほどの頭痛」だ。深夜近くになって、ひとけのなくなったコンビニでゼリー、そうめん、アイスクリームを買い込んできた。弟にSMSで「コロナかもしれない。今から隔離開始する」と通知。この時点で体温は36.9度。微熱にも至っていない気がするが、すごく嫌な予感がしていたのだ。翌日やる予定だった仕事を午前2時近くまでかかって訳して納品。メールの自動返信を設定。

1日目。起床後すぐ検温。38.1度。夫も発熱したらしい。すぐさま最寄りの発熱外来を予約。この時点で出ている症状は軽い咳、軽い鼻水、熱、節々に軽い痛みだけである。発熱外来では車に乗ったまま検体採取、電話で症状を聞かれ、検査結果も電話で伝えられた。ストレス性胃炎で受診していた病院だったので、先生も私の事情をだいたいご存じで「今ご実家ですか? じゃあ、お母さんいらっしゃいますよね? あなたは大丈夫だと思うけど、お母さんの方を隔離した方が安心かもしれないですね」と言われた。5日目までは他の人にうつす可能性があるので外出を控えるよう指示された。

家に戻るとまず車の中を消毒。母に「コロナだったから私に近寄ってはいけない。話しかけるのも控えてほしい。私はいないものと思って生活してくれ。何もしてくれなくていいし、お母さんにできることは何もない!」とだけ言い部屋にこもった。夫も陽性だった。

この日は「普通の風邪と同じ」状態で、起きているのはだるいが食欲も旺盛、喉の痛みがないので何でも食べられた。解熱剤はよく効いたのだが、薬が切れると39度近くまで熱が上がる。特に夜になると熱が上がる。熱が出ると猛烈にお腹が空く。味覚異常なのか、カップ麺が異様に塩辛く感じられて食べるのに難儀し、結局ふりかけをかけただけのご飯をもりもり食べた。母が何度も「ご飯は? お風呂は?」と話しかけてくる。ドアに「開けるな。入るな。風呂は入らん」と書いた紙を貼った。

2日目。起床時の体温は37.5度。症状に頭痛(厳密には目玉が痛い)が加わった。できるようなら仕事をしようと思っていたのだが、目が痛くてモニターを見ていられない。アセトアミノフェンを処方されていたのだが、頭痛に効かない。食欲は変わらず旺盛。母が何度も「ご飯は?お風呂は?」と聞きに来る。貼り紙効果ゼロで、これには心底困った。常時窓をちょっと開けて扇風機を回して換気はしているとはいえ、私の部屋にはウイルスが浮遊しているのだ。こういうときにショートステイに預けられたら安心なのだが、家族がコロナに感染していたら受け入れてはもらえないだろう。普段は、自分の車で実家に来ているのだが、今回は夫と一緒に来て、夫が乗って帰っていたので身動きが取れない。車さえあれば福岡まで運転できるくらいの状態なのだが。

ちなみにお風呂については、浴室の使用時間帯を家族と大幅にずらすため、昼前にシャワーを済ませ、浴室と脱衣所の窓を開けて換気扇と扇風機をブンブン回して換気していた。

夕食はデリバリーのカレー。ここで味覚と嗅覚が死んでいることに気付く。エッセンシャルオイルをくんくん嗅いでみたが、何のにおいもしなかった。においに敏感な私にとってはまことに驚きの感覚だった。仕事はボリュームの少ない定期案件だけ受けた。

3日目。起床時平熱。他の症状は前日と同じ。頭痛が治まらない。朝早くに夫から「今から迎えに行くから」とメッセージ。バタバタと荷物をまとめる。とにかく、母が大きな問題だったのだ。感染のリスクを正しく理解できていないのか、一応マスクはしているものの鼻は出ているし、「お母さんにうつったら、お母さん死ぬよ?」と言っても「もう死んでもいいもん」と卑屈パワー全開だ。私が懸念しているのは、母ではない。弟なのだ。こう言っちゃなんだが、私だって母が死ぬのは構わない。ただ、これまでのがん治療が想定しうるベストを上回る効果を上げている弟を犠牲にするわけにはいかないのだ。

母がいるリビングのドアを10㎝ほど開けて「お母さん、帰るから。また来月来るよ」と言うと、見送りに出ようとしたので「動くな!」と制して急いで家を出た。

自宅に戻ってイブプロフェンを飲んだらあっさりと頭痛が止まった。仕事は定期案件だけ、30分ほど。寝ているときに咳が出るとなかなか止まらず目が覚めてしまう。

4日目。平熱。夜中何度か咳き込んで目を覚ましたうえに、午前4時半ごろ猛烈な空腹感で起きてしまう。トーストとご飯を食べて(炭水化物しか受け付けない)5時前から仕事をした。味覚と嗅覚は死んだままだ。何を食べても味がしない。味がわからないから酒を飲む気もしない。考えようによっては健康的だ。

こういう具合で、私は「ただの風邪」とまったく変わらず、ごくごく軽症で済んだ。本当にコロナだったんだろうか?と疑いたくなるほどだ。ちなみに、夫はまだ発熱が続いており、喉の痛みがひどくなっているらしい。

今回の騒動では、母には本当に手を焼いた。不幸中の幸いというか、私は母と微妙な関係のため、あまり話をしない。二人でご飯を食べていても普段からほぼ無言だ。食べ終わると食器を流しに運び「洗っといて」と言うだけ。この希薄な母娘関係が感染防止に大きく寄与した。弟が残業続きだったのも幸いした。ただ、希薄な母娘関係なのに、病気の娘に何とかして構いたいという母の承認欲求が大きな障害となった。

今後への課題として、やはり母がどんなに拒否しようともショートステイを体験させることが不可欠かもしれない。要介護1になったこともあって、ケアマネさんや通所リハビリの担当者さんも説得してくれたのだが、本人が頑として拒否するのでしばらくは介護サービスの追加を見送ることにしていた。それでも、私のぎっくり腰や新型コロナ感染でまず問題になったのが母だった。

それにしても、嫌がる年寄りをショートステイに行かせる良い方法はないものだろうか? この件に関しては毎回言い合いになってしまう。叩いて言うことを聞かせたら楽かなあ?と頭をよぎる。そして、私を叩いて言うことを聞かせていた母は楽だったのかなあ? 一瞬でも躊躇しなかったのかなあ? 罪悪感とかなかったのかなあ?と思う。


2023年8月17日木曜日

I Love You: 鮎川誠フォーエバー 番外編

 2023年8月14日、福岡のライブハウスで鮎川誠追悼ライブが開催された。会場には約200人のファンが詰めかけ、超満員となった。まこちゃんとゆかりのあるゲストが出演したライブは2時間半にも及び、ローカルニュースでも取り上げられた。

「いつもと同じようにこうやって向かってるけど、ステージにまこちゃんは出てこないんだよね」と話しながら会場へと向かった。ライブハウス前にはいつもの倍くらい人が並んでいた。ほとんどの人がシナロケやサンハウスのTシャツを着ていた。私も去年買ったサンハウスの久留米限定版Tシャツを着用して臨んだ。

ステージの前面にはスクリーンが張られ、シナロケのロゴが投影されていた。開始予定時刻を5分ほど過ぎたところで、いつものオープニングSE、ロケット発射のカウントダウン開始。カウントがゼロになった直後、スクリーンに登場したのはまこちゃんだった。いつもと同じように『バットマンのテーマ』から始まった。まこちゃんのあの笑顔が私たちを迎えてくれた。

そしてスクリーンが降りると、シナロケのメンバー(ボーカルでまこちゃんの三女ルーシー、ベースの奈良さん、ドラムの川嶋さん)とサポートギタリストの澄田健が登場。澄田健はブラックビューティーを高々と掲げた。

ブラックビューティーをどうするのか?とヤキモキしていたファンも多かったと思う。長女でモデル・画家の陽子ちゃんは「レスポールもお父さんと一緒に棺に入れたかったけど……」と言っていたし、それが可能であればそうしてほしいと私も思った。まこちゃん以外が弾くくらいなら、もう音が出なくなってくれたほうが……とまで思ったのだ。

しかし、そこには別のギタリストの体を借りて、咆哮を上げるブラックビューティーがいた(「あった」ではなく「いた」のだ)。ライブの1週間ほど前に澄田健がTwitterでブラックビューティーのことをつぶやいていた(こちら)。

澄田健のギターはまさにGoing His Wayだった。慣れないギターで手こずったかもしれない。それでも彼は、まこちゃんのプレイに寄せることをせず、あくまで正面からがっぷりと組んでいたように見えた。暴れるブラックビューティーと徐々に和解し、大音量で澄田健のギターを轟かせ、その音に私は圧倒された。

これまでは傍らに立つ父に守られていたルーシーが全力でバンドを引っぱり、堂々としたパフォーマンスを見せてくれた。そこにはシーナもいないし、まこちゃんもいない。でも、そこにはシーナもいたし、まこちゃんもいた。涙は止まらないのに、笑顔がこぼれてしまう。そんなハッピーなライブだった。

8月16日、全国に先がけて上映が始まった『シーナ&ロケッツ 鮎川誠 ~ロックと家族の絆~』を観に行った。お盆休み明けの平日だったが、思ったよりお客さんが多かった。

元は福岡のテレビ局が制作した30分のドキュメンタリーだったが、その後60分の拡大版が全国ネットで放送され、まこちゃんが亡くなったことを受けてさらに90分に拡大したバージョンが映画館で上映されることとなった。映画版には、ゆかりのあるミュージシャンのインタビュー映像も追加されていた。決して威張ることのない、優しく楽しいまこちゃんとの思い出が語られた。そしてそれは、私の中に残るまこちゃんの思い出と重なった。

映画館を後にしながら、「もうまこちゃんはいないんだ」と強い喪失感に襲われた。一昨日のライブでは感じなかった感覚だった。

こうして、まこちゃんの初盆を終えたわけだが、まこちゃんがいなくまっても世界はやっぱりぐるぐる回り続けている。2018年にまこちゃんの言葉を聞いて「ギター弾かねば!」と押し入れからギターを取り出した私は、今年12月、40年ぶりのライブ出演が決まった。しかも、まこちゃんが立ったのと同じステージだ。あのとき、シナロケのライブに行かなければ、私のギターは今も押し入れにしまい込まれたまま、私も仕事や介護に追われてすり切れるだけの人生だったのだ。

まこちゃんは甲本ヒロトの人生を変えたけど、私の人生も変えたのだ。

ヒロトが「あのレスポール、生き物だよ」と言っていて、「あ、この人も同じように感じたんだ」と思った。まこちゃんのブラックビューティーには意思があった。生きてる限りロックするって。

2023年8月2日水曜日

習い事で乗り切る2拠点生活

 3年前から始まった2拠点生活。当初は福岡の自宅にいる期間の方が長かったのだが、母がどんどんヨボヨボになり、弟ががんになり、じわじわと実家にいる時間が増えてきた。そして今年に入ってからは、実家にいる期間の方が長くなっている。

母に対して複雑な思いを抱いている私にとって、これは想像を絶するストレスである。そこで、実家暮らし期間を少しでも楽しく過ごせるよう2月から習い事を始めた。ギターだ。

高校生の頃にバンドでギターを弾いていたとはいえ、腕前はギター歴2か月程度。一通りのことはなんとなく知ってはいるが、どれもできない。メジャーコードくらいはわかるが、セブンスコードはわからない。運動神経に大きな難を抱えているので、右手と左手が別の動きをマスターするまでに人の3倍くらい時間がかかる。一度に1つのことしかできない。老眼で手元が見えない。すべてにおいて、とにかくたどたどしいのだ。

まず、ロックンロールのクラシック『Johnny B. Goode』を教えてもらった。50分のレッスン時間でできたのはイントロ(約20秒)だけだ。それも、家に帰り着いた頃には一部忘れている。その後のレッスンでは苦手克服のために苦手なことを重点的にやることになった。選曲はすべて師匠に任せることにした。自分で選ぶと自分が弾けそうな曲しか選ばない。これでは弱点は永遠に弱点のままだ。

苦手なパートをワーッとでたらめに弾いてごまかすタイプの私に課せられた課題は、「スローテンポの泣きのギターをマスターすること」となった。スローテンポはごまかしがきかない。毎回「そこ、半音上がりすぎ」とか「タイミング半拍遅い」とか指摘されている。現在はゲイリー・ムーアの『Sunset』を練習中だ。半年のレッスンの甲斐あって、今までずーっと苦手だったチョーキングとビブラートをマスターした。横で聞いていた夫が「あ、チョーキングがちゃんと1音上がってる!」と驚いたほどだ。

実家で闇落ちしそうなときはギターを弾く。アンプにつないでガンガンに音を出す。指が疲れて動かなくなるまで弾けば気分も落ち着く。しかし、それでもダメなときがある。

6月末、ひと月入院していた母が退院することになった。ちなみに、どこも悪いところはない。不安発作を起こして手に負えなくなったのでかかりつけの病院にひと月お世話になったのだが、そのひと月でさらに足腰が弱ってしまった。実家暮らしが長引くことが確定し、いつにも増して闇落ちの気配が濃厚になる。ギターだけではこの状況を打破できないと踏んだ私はもう一つ習い事を追加した。テニスだ。

テニスは福岡で10年以上習っているのだが、こちらも腕前はテニス歴2か月程度だ。2拠点生活が始まってからというもの、テニススクールをお休みすることが増えた。しかも屋外コートのスクールなので、雨が降るとレッスンはお休みになる。この1年くらいは月に1回くらいしか行けていない。

幸い、実家の近くでチケット制だけでなく、ビジター料金の都度払いも可能なスクールが見つかった。チケット制はチケットの有効期間内に使い切れない可能性が高いので、割高ではあるがビジター料金都度払いにしてもらった。インドアコートなので雨でもテニスができる。

母のことでイライラが募るとテニススクールに行く。今年は猛暑だ。インドアコートといっても冷房があるわけではなく、直射日光が当たらないだけでコート上はおそろしく蒸し暑い。その中で80分間、全力で動き回る。レッスンが終わるころには、積み重なったイライラも雲散霧消している。ちょっとだけ晴れやかな気分で家族と向き合えるようになる。

今後も2拠点生活は続く。おそらく実家で過ごす時間が増える一方になるだろう。私のストレスはさらに増大し、また習い事を増やすことになるかもしれない。

ところで、ギターの方はギター歴半年くらいまで上達したと思っている。清水の舞台から飛び降りてギブソンのレスポールを買った甲斐があるというものだ。

練習開始後1か月の『Panama』
(この曲ではフェンダーのストラトキャスターを使っている)