10月半ば、用事がない限り電話をかけない間柄の母から電話。涙声で「お父さんもがんかもしれない」と言われた。風邪を引いたわけでもないのに何日も咳が続くのでかかりつけの病院でレントゲンを撮ったところ、左肺に腫瘍のようなものが写っていたため設備の整った病院で再検査を受けることとなった。母のときは佐賀大学付属病院に紹介されたのだが、父は持病の狭心症の治療で佐賀県立医療センター好生館(佐賀では「県立病院」と呼ばれている)に定期的に通院しているため県立病院で検査を受けることになった。
最初の検査日は私に急ぎの仕事があったため、弟が一緒に行った。レントゲンと単純CTの結果「がんの疑いあり、ただし間質性肺炎かもしれないが肺機能が著しく低下している」ということで、気管支鏡検査(一泊入院)を受けることになった。検査が終了するまで家族が待機せねばならず、私が仕事を休んで付き添った。本人は検査の説明を受けた時に「胃カメラみたいなやつを使って…」と聞いたらしく「胃カメラと同じ程度の苦痛」と勝手に判断していた。私が「たぶん胃カメラよりもっと苦しいと思うよ」と言っても「いやー、胃カメラと同じやろ」とひどく呑気だった。ところが、検査は30分ほどで終わったのだが、「もう二度と受けん」と言うくらい苦しかったらしい。鎮静剤を打たれていたものの、気管支から肺に直径5mmほどの管をぐいぐい通されるのだから、苦しいのが当たり前だと思うのだけれど。実は検査直前に狭心症の発作を起こし、看護師さんたちを慌てさせてしまった。本人は慣れているのと、付き添っている私は膝にMacBook乗せて請求書を作っていたので全然気付いていなかった。
さて、検査が終了しても医者が私に何かを説明する気配がない。ちょっとイラっとしたので「感じ悪いだろうな」と思いつつも、「画像見せてください」と詰め寄ったら「あ、ご覧になりますか?」と言いながら見せてくれた。病院や医者によって対応が違うので家族という立場では極力情報提示を求めるべきだと思う。
母が最近肺がんの手術をしたこと、ごく初期で転移もなかったこと、母の治療を見てきたので本人も同じ手術を受けると軽く決めていることを告げると医師の表情が曇った。「お父さんの場合、お母さんほど単純じゃないんです。むしろ、お父さんのほうが深刻なんですよね」と予想外の流れに話が向いた。「ほぼ確実に間質性肺炎なんですよ。そうなると抗がん剤も放射線も使えません。肺がんの可能性は高いのですが、お母さんと違って切って終わりではないんですよ」と、なかなかに重大な告知を受けた。
その後も2回、頭部から腹部までのCTやら骨シンチ検査を受けた(どちらも検査だけなので、父が自分で運転して一人で病院に行った)。母の時と違って「手間がかかってるな」と思ったのだけれど、念入りにやっているというより効率が悪いという印象しかなかった。気管支鏡検査の後で父に九州がんセンター(福岡)か、近くがいいのなら佐賀医大にしろと言ったのだが、父は循環器科の先生をとても信頼しているらしく、肺の治療も県立病院で受けたいと言い張る。正直なところ、循環器科の医者がどんなに良くても、肺の手術をするのは別人なんだから関係ないだろうと思ったのだが、これから痛く苦しい治療を受けるのは父なので本人の希望を採用した。
3回の検査の結果を父、弟、私の3人で聞きに行った。間質性肺炎と肺がんがほぼ確定した。「ほぼ」というのは、気管支鏡検査ではがんが確認できなかったのである。医師の説明によると、左肺上葉の一番背中側なので気管支鏡が届かなかったからだという。素人考えで申し訳ないのだが、その位置にあることはレントゲンとCTでわかっていたじゃないか?結局はレントゲン、胸部CT、腫瘍マーカーからがんと判断したらしい。再び素人としては「じゃあ、気管支鏡検査必要だった?!」とイラっとしたのだけれど。こういうこともあって私はがんセンターで受けるべきじゃないか?と強く思ってしまうのだ。
がん(現段階では100%定かではないものの)の大きさは2.5cmほど。左肺上葉を全部摘出するらしい。「え?区域切除とか部分切除じゃダメなんですか?」と聞いたら「間質性肺炎があるので区域切除で切開した部分から空気が漏れると危ないんです。あと、中央部分にもものすごく小さい影が見えるので再発の可能性なんかも考えると上葉全部取ったほうが安全です」と言う。おそらく私の顔に出ていたんだと思う。「ちょっとあんた信用できないわー」的な気持ちが。医師が「医大のほうがいいということであれば、データはすべてお渡ししますし、ご希望の病院で手術を受けていただけますよ。でも、お母さんの主治医のT先生より年上のベテランがここにはおりますし…」と言われたのだが、キャリアが長けりゃいいってもんじゃないだろ?と、ますます眉間にしわを寄せつつ、「お父さん、どうする?どうしたい?」と聞くと「ん?切るよ!」と即答。間質性肺炎はまだ繊維化の兆候は見られないので初期、肺がんも転移の可能性はゼロで初期の
肺の一番外側に腫瘍があって、それが癒着していると胸腔鏡手術では取りきれないのでその時は切開に変更するらしい。
さあ、それじゃ手術の予約か。年内に終われるかな?と思っていると、医師が「僕の仕事はここまでです。あとは外科の担当になりますので、外科で診察を受けて検査を受けていただきます」と言うので私はキレそうになった。病院によってシステムや各科間の連携が違うのは当然だと思うが、あまりに縦割りじゃないか?お前ら役所か?!あ、ここ県立だしな、いや医大だって国立だぞ!とはらわた煮え繰り返りそうになった。
帰り道に弟が「やっぱあれだなー、内科より外科がえらいって感じなんだろうなあ」と白い巨塔的なことを言うので笑いつつ、父に再度「がんセンターか医大で手術したほうがいいよ。データさえあればいいんだから」と説得を試みたのだが「がんセンター遠いし、心臓のことがあるから県立病院がいい」と譲らない。
父はあと数回診察検査を繰り返すのだが、幸い体力自慢なので平気そうだ。「困ったな。がんになったんじゃ、来月現場に行こうと思っとったのに行けんな」と言って母に「がんじゃなくても現場にはもう出るな!」と怒られ、「しょうがない。じゃあ、梅の木の剪定だけは済ませておこう」と言ってもっと怒られていた。実は、前日に剪定中に脚立から落ちて足を擦りむいたらしい。
間質性肺炎があるとちょっとしたことで増悪して「死ぬ」可能性があると聞かされた父は、ますます「好きなものを好きなだけ食って死ぬ」と調子に乗り始めている。「熊本城にも行きたいからEちゃん(近所に住むいとこで最近父と一緒に出かけてくれている)を誘って見に行こう!」と言っていたので、今頃『じゃらん』(紙媒体の方)でリサーチをしているに違いない。
やはり今回も私は「高齢者の医療に対して、子供がどこまで立ち入るか?」が大きな壁になっている。少なくとも父は病院を変える気はないことがはっきりした。そして私は病院を変えさせたい。
父編は母編より長くなるかもしれないと思う。ちなみに父にはくも膜下出血の既往歴もあるので、脳、心臓、がんの大三元だ。