2016年11月16日水曜日

父、がんになる その2

去る10月29日に広島市で開催された広島医薬翻訳勉強会に参加して、がん治療に関する有益なお話を聞いたのに、なかなかそれを活かせずに忸怩たる思いでいる。

10月14日(月)に父を佐賀市内にある県立病院(正式名称:佐賀県医療センター好生館)に連れて行って、呼吸器内科で受けた検査の結果を聞き、外科へバトンタッチとなった。翌10月15日(火)、父は一人で再び病院を訪れた。なぜ一人で行ったかというと、呼吸器内科の医師が「明日の外科の外来は一人でいいですよ。検査結果とか手術の説明はご家族と一緒に来てくださいね」と言ったからだ。

ところが、病院に行ってみると外科の医師に「お一人なんですか?ご家族は?手術の説明するのでご家族一緒じゃないと」と言われたらしい。父が「今日は診察と検査だから一人でいいと言われました」と言うと「でも、こっちでやる検査はないです。もう全部検査終わってますし」と言われたらしい。とにかく来週もう一度家族を連れて来いって話になったらしいんだけど。

さてさて、なんで情報の共有できてないの?電子カルテだから別の診療科の医師もカルテにアクセスできるよね?アクセスしたら何の検査をして結果がどうだったか全部出るよね?なのに、何の申し送りもしてなかったの?と電話で話を聞いた私は怒り心頭だったし、母も「はあ?」って感じで「おかしいよね?」と苛立った様子だった。

ところで、一人で診察に赴いた父は「手術しなかったらどのくらい生きられますか?」と聞いたらしい。外科医は「そうですね、5年は厳しいでしょうね」と答えたらしい。「じゃあ、手術したらどのくらい生きられますか?」と聞いたら「10年生きられますよ」と答えたらしい。はあ?!

これ、父>母>私への伝言ゲームなのでどの程度正確かがわからないし、医師の言葉が厳密にどういう表現だったかもわからないのだけれど、言うか?それを一人で来た80歳の高齢がん患者に言うか?と再び私は怒り心頭。まあ、「聞かれたから質問に答えたまで」ってことなんだろうが。

がんであることを患者本人に伝えることに異論はないし、知った上でベストの治療を受けられるよう話し合うことは必要だと思う。ただし、信頼関係があることが前提。ところが、「余命」を聞く父も父だが、初対面なのにあっさり答えちゃうわけ?と思った。

母の時も思ったのだけど、「がんの疑いあり(しかも濃厚な疑い)」で検査を受けた時に、検査時にまずインフォームドコンセントの書類は渡さないのか?私が九州がんセンターで手術をした時は、入院前にインフォームドコンセントの書類を渡されて、どの程度の告知を望むのか?治療に関する最終的な判断は誰が行うのか?自分で判断できない状況になった場合にどうするのか?を事細かに聞かれたし、書面でも書かされたのだけれど。母の時も父の時も、そういう書類が一度も出てこない。これ、要確認事項としてリマインダーに入れておかなければ。

ちなみに父は「手術したらまた電気工事の仕事行けますかね?」と聞いて「さすがにそれはちょっと無理だと思いますよ」と言われたらしい。

この無駄足外来と医者の対応に関して、昨夜病院のホームページから「ご意見」を送った。本日午後3時現在、何の返信もない。

医者だからと無条件に尊敬する時代はとっくに終わっている。ところが親世代はちょっと違っている。今回のような重篤な疾患に限らず、病院に付き添って医者に向かってストレートに質問したり、疑問をぶつけたりすると親が困った顔をする。以前も、祖母が80歳くらいの頃、毎週早起きして歯の治療に送り迎えをしていた。すでに結婚して別に住んでいたのに、仕事に行く前に送り迎えをしていた。何回目かの治療の時に「いつまで通うんですか?あと何回ですか?」と聞いたら、その後「もう送り迎えしてくれなくていい。失礼な口を利くからタクシーで行く」と言われた。私はただ治療の先行きを知りたかっただけだ。

もちろん、来週病院に行ったら手術までのスケジュールを出してもらうつもりだ。こっちも毎回仕事を休んで佐賀まで行かなければならないのだから、いつどの程度の時間を必要とするのかの見積もりくらいは出してもらわないと困る。


こういう仕事してると、スケジュールにうるさくなるよね。