2017年6月30日金曜日

ご近所事情

コミュニティ 覚えられると めんどうだ

今のマンションに引っ越してきて3年近く経つ。近所には個人経営の飲食店が多く、ちょくちょく足を運ぶ店も多い。歩いて3分くらいの所にカフェがあって、そこでよくコーヒー豆を買っていた。なぜ過去形かというと、ここ1か月くらい行っていないのだ。それまでは週に1度のペースで豆を買いに行っていたのに。浅煎りのフルーティーなコーヒーが好きで、友だちや親戚にあげたりしていたのに。なぜ行かなくなったのか? なんとなく、である。

ところが、1か月も遠のいているとだんだん行きづらくなってきた。小さなカフェで、毎週豆を買いに行っているんだからしっかり覚えられている。行けば世間話もするし、マスターとはヨガ教室でも一緒だった。そう、狭いコミュニティなのだ。豆を買いに行くと「来週ヨガ行きます?」と聞かれる。もちろん、文字通りの意味しかないことは百も承知だし、私も同じようなことを興味もないくせに聞く。そして、聞いた1分後には忘れる。ちなみにヨガは諸事情あって行っていない。先日、ウォーキング中にマスターにばったり出くわし、挨拶を交わした。「あの常連さん、最近来ないなあ。そういやヨガにも来てなかったなあ。もしかして病気かな?」と思われていたかもしれない(そんなわけない)

こうして、私は想像を勝手に膨らませて、勝手に申し訳ない思いをしてしまう傾向がある。他にもめっきり行かなくなった店がいくつもあるのだけど。覚えられてしまったがために、こういう余計な心配が増えた気がする。最近、別の居酒屋でも「いつもありがとうございます」と声をかけられてしまった。顔が見えるコミュニティには安心感がある反面、密接になりすぎない絶妙な距離感を求める人も多いと思う。実家がある佐賀に帰る気に今ひとつなれないのは、コミュニティが狭すぎるからなのだ。みんなが「誰かの知り合い」というのも息が詰まるのだ。

さて、近所においしいコーヒーを出すカフェがあるのに、そこでコーヒーを飲まずに豆だけ買って帰るのはなぜか?と聞かれたことがある。理由は簡単。Wi-Fiをお客さんに開放していないのと、椅子の座り心地が悪いから。