2017年6月2日金曜日

コモエスタ中洲

グラシアス アキちゃん今は アメリカン

先日、中洲で開催された福岡日英協会のイギリス文学セミナーに参加した。中洲というと九州一の歓楽街として有名なわけだが、最近は猥雑な雰囲気はどこへやら。大型商業施設、高級ホテル、劇場、オフィスビルなど、街の様子が大きく変わった。ただし、路地に入ると中洲らしさは健在だ。

セミナー後は中洲の『ロシータ』で食事。中洲川端商店街の入り口近くにある老舗メキシカンレストランで、昔は駐留米軍の軍人で賑わっていたと母から聞いた。実はこの店、叔母が働いていたのだ。中学卒業後に家出をして博多に出てきた叔母は、このレストランで住み込みウェイトレスとして働いていた。そこで知り合った米兵と恋に落ち、結婚、出産。第一子を産んだ後、夫の帰国に伴い家族でアメリカへ渡った。それ以降、叔母はずっとアメリカに住んでいる。

古い写真をスキャンした画像データがスマホに入っていたので、ダメ元でお店の人に見てもらった。店の前と店の中で撮影した写真だ。叔母の名前を伝えると、店の奥からオーナーが出てきてくれた。3代目となる現オーナーは叔母のこと覚えていてくれた。子供の頃叔母に子守をしてもらったり、一緒に遊んでもらったりしていたらしい。叔母のことを親しみを込めて「アキちゃん」と呼び、当時のことをいろいろと話してくれた。

叔母がアメリカに渡って50年以上経つ。今の日本に叔母と関わり合いを持っていた人は数えるほどしか残っていない。叔母を育てた私の祖父母も、叔母の兄弟も、叔母と一緒に暮らした私の伯父たちも皆鬼籍に入っている。叔母と付き合いがある私より若い身内は日本にはおそらくいない。そんな中、叔母のことを覚えていてくれて、懐かしんでくれる人がいた。「今日はいいことをしたなあ」としみじみしながら帰途についた。そして、中洲の駐車料金の高さに腰が抜けた。残念なことに、叔母はパソコンもスマホも使わないので、リアルタイムに伝えられない。

結論:高齢者もメールくらいは使えた方がいいんじゃないかな?

当時まだ珍しい自動ドア(1963年頃)

現在のロシータ

テックスメックスとは違った本場の味(行ったことないけど)