BGMが消えて暗くなった会場にロケットエンジンの音が響き、カウントダウンが始まる。ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン、ゼロ! 目に飛び込んでくるスポットライトの光。煙草をくわえ、塗装が半分近くはげてしまった「ブラックビューティー」を抱えてあの人が現れる。電源が入ったままシールドを突き刺されたことにガリガリと抗議するマーシャルを無視して、アンプのつまみをすべて、ためらうことなく10に合わせる。スピーカーのハウリングが客をあおる。彼の名前は鮎川誠、通称まこちゃん。福岡出身のロックバンド、シーナ&ザ・ロケッツのギタリストだ。
はじめて彼の演奏を聴いたのは20数年前。無骨で真っ直ぐなギターサウンドが、人生の谷底にいた私のハートに一瞬で火をつけた。
数年前、福岡空港近くで彼の姿を見かけた。思わず駆け寄り、小声で「がんばってください」と声をかけると、「はい、ありがとうね」と温かい手でしっかりと握手してくれた。
元ロックバンドのギタリストである知人にこの話をすると、「俺さ、昔サンハウスと何度か一緒にライブ出たとよ。鮎川さんはシャイで優しい人やった。ギターの腕前はともかく、ステージに立つ姿に圧倒された。あんなにギターが似合う人はおらん」と熱く語った。同じく元ギタリストである夫は、「大学のときにフェスでシナロケ観て、ホテルまで追っかけてサインもらった。嫌な顔するどころか、わー、博多から来てくれたとね? ありがとう!って。鮎川さんは優しい人やけん」とうっとりした口調で語った。
彼の何がそこまで男たちを(もちろん女たちも)虜にするのだろうか。もう一度、自分の目と耳で確認しよう。
2018年2月、福岡市内のライブハウスは年季の入ったファンでいっぱいになった。だれもが飛び跳ね、歌い、踊る。ステージ上のまこちゃんは満面の笑みでギターを鳴らす。ライブが始まる瞬間まで、私は少しだけ案じていた。いくら現役とはいえ70歳だ。20年前に比べたら少しは、いやかなり衰えているかもしれない。実際に観てしまったらがっかりするかもしれない、と。ところが、そんな心配は最初の一音で吹き飛び、全力疾走のロックに脳の芯がじんじんシビれた。
それからというもの、私は夫とともにシナロケを追っかけている。
あるトークイベントでまこちゃんが言った。「ロックは生ものやけん。そのときの気分でジャーンと鳴らす。それがロックたい。間違ったらどうしようとか考えん。そんなのはロックじゃなかよ」
私は押し入れにしまい込んでいたギターを引っ張り出し、さび付いた弦を張り替えた。下手くそでもオッケーなのだ。ロックは生ものなのだ。今日のロックを鳴らすのだ! ギターにミニアンプをつなぎ、つまみをフルテンにする。キーンとノイズが響く。あわててすべてのつまみをスッと5くらいに下げる。そして1時間も弾くと飽きてギターを置く。
まこちゃんはロックに夢中になった学生時代の話をよくする。レコードを聴くためにプレーヤーのある新聞部に入ったこと。ビートルズが福岡空港に立ち寄るという噂に踊らされてバイクで見に行ったこと。修学旅行の積立金を返してもらってギターを買ったこと。筑後川近くの農家の納屋で初めてのロックバンド体験をしたこと。
田んぼが広がる真っ平らな筑後平野。私が子供のころから見続けてきたあの景色だ。風の匂いも湿度も手に取るようにわかる。彼のギターサウンドに惹かれてしまうのは、あの景色を知っているからかもしれない。
まこちゃんはまるで昨日の出来事を話すように、60年代、70年代のロックやブルースを語る。80年代のニューウェイブパンクを、博多の、そして日本のロックシーンを語る。私たちは、朴訥な語り口で授けられる極上の「ものがたり」を通して、彼を虜にしたブルースやロックを追体験するのだ。マディ・ウォーターズ、チャック・ベリー、ビートルズ、ストーンズ、ラモーンズ。白人が支配する社会で虐げられる黒人の怒り。大人社会のルールに反発する若者のエネルギー。筑後弁と博多弁と若松弁が混じった鮎川弁で語られる「ものがたり」に私たちは酔いしれ、ある者は「16歳の女子高生」に、またある者は「20歳の大学生」に戻ってしまう。だれもが「あの頃の自分」に戻るのだ。
ライブの終盤で毎回演奏する『アイ・ラブ・ユー』という曲がある。曲の出だし、まこちゃんの「せーの!」に続いて全員があらんかぎりの力と愛をこめて「アイ・ラブ・ユー!」と叫ぶ。私と夫が人生で一番たくさん「アイ・ラブ・ユー!」と伝えた相手は間違いなく鮎川誠だ。かつては怒りを表現していたロックで、今は愛を伝えている。
こうして私は人生ではじめて「会いにいける推し」を見つけた。まこちゃんは72歳になった今も激しくギターを鳴らし続けている。まこちゃんがロックする限り、どこまでもついていこう。キープ・オン・ロッキン! イェー!
*2020年11月に受講した文章講座(西南学院大学の生涯学習講座)で書いたエッセイです。オリジナル原稿は縦書きフォーマットだったため、今回、横書きフォーマットに一部表記を修正。