2016年12月5日月曜日

父、がんになる その5

手術直前になり「がんじゃないかも?」という驚きの展開になり、若干気が緩んだ我が家。手術前日は福岡から夫が来て鍋を囲んだ。もちろん、父は病院なので囲めないのだが。

手術当日、午前8時半前に病院に行くと、父の従姉妹2名がすでに来てくれていた。本人もいたって呑気。予定時刻に歩いて手術室に向かう。家族は院内専用PHSを渡され、待合室でコーヒーを飲みながら待つ。父の従姉妹と母がおしゃべりで盛り上がっている目の前でネトフリを見るのははばかられるので自重した。途中、交代で昼食をとったが、後半グループが昼食に出た直後、午後12時過ぎにPHSで呼び出されて執刀医から途中経過の説明を受ける。説明室にはモニタがあり、手術のライブ動画が絶賛放映中である。

私と弟はライブ動画に目を奪われてしまったが、執刀医の話では腫瘍は扁平上皮がんだったらしい。肺を見ると、長年の喫煙習慣でダメージが蓄積されていたため、左上葉部を全部摘出した場合の肺機能低下が予想より大きくなりそうなことと、悪性腫瘍はすっぱりと切除できたので部分切除だけで十分だと説明を受けた。「このまま部分切除でいいと判断しているのですが、ご家族がもし上葉を全て切除したいというご希望であれば開胸して切除しますがどうしますか?」と聞かれた。内心、随分ヘヴィな質問をぶつけてくるなーと思いつつ、弟も私も瞬時に「部分切除でいいです」と答えた。その後もライブ動画を見ながら待ちたかったのだが、待合室に戻らされた。

それから1時間半ほどしてICUに移った父との面会が許可された。ICUでは患者1名につき看護師2名が付いて術後管理をしてくれる。本来なら、母の時もICUで術後管理を行う予定だったが、たまたまICUに空きがなくて個室で私が付き添う羽目になったのだ。術前は軽口を叩いていた父だが、年齢相応の弱った高齢者に見えた。「お父さん、痛い?」と聞くと辛そうな顔つきで「今まで受けた手術で一番痛い。予想より随分痛い」と言う。部分切除で済んだと伝えると「じゃあ、退院したら現場に出れるな」と言って母に怒られていた。

術後の説明は特になく、すぐにICUを後にした。問題が起きなければ明日中に一般病棟に戻ってリハビリを開始するらしい。母は涙ぐみながら「きつかったやろ?また明日来るからね」と声をかけていたが、私も弟も「お母さんの時に比べると随分楽そうで良かった」と胸をなでおろした。母は私と違いエモーショナルな人なので、すぐに涙ぐむ。昨夜も夕食の後、もう40年も前に死んだひいばあちゃんの最期の看取りをうちでできなかったことを悔やんで泣いていた。

ひとまず今の段階でがんに対してベストと思われる対処は完了したわけだが、今後も親が病気になるたびに「調べる」、「話し合う」、「決める」を繰り返すのかと思うと若干気が重い。その一方で、先日近所の親戚が多系統萎縮症であることがわかり、しかも病状の進行が非常に早く、歩行も困難になっている姿を目にしたばかりなので、うちの両親のように「がんだけど早く見つかって切ったら治った(治る)」のは非常に幸運だと思った次第。QOLの低下は年齢による部分も大きいので、如何ともしがたいのだけれど。

明日の夕方には福岡に戻るが、今年は例年になく実家に帰った回数が多かった。先月からはほぼ毎週のように佐賀に来てるし。何気なく母と弟がご近所さんの家に新しいテレビが届いた話をしていて、それを聞いた夫がぎょっとしていた。田舎の情報網はアナログだけど感度が高いのだ。