2016年12月9日金曜日

父、がんになる その6

12月5日(月)に手術を受けて肺の一部を摘出した父は、術後ICUで術後管理を受けた。ICUで面会した父は、来年80歳になる高齢者らしく弱々しい姿で痛みに呻いていた。その姿を見た母は涙を流しながらICUを後にした。

と、ここまでが前回のお話。

翌12月6日(火)の正午ごろ病院から電話がかかってきた。「今日の午後2時ごろ、予定通りに一般病棟のほうに移ることになりました」と。その時点でも母は「え?そんなに早く戻して大丈夫かね?」と半信半疑だった。ICUに入るために一旦すべての荷物を持ち帰っていたため、再度キャリーバッグに詰めた着替えや洗面道具を持って病院へと向かった。ただし、私と母の2人で。これが思った以上に大変だった。まず、私はへなちょこで非力だ。しかもキャリーバッグにはキャスターが2個しか付いていない。従来のスーツケースのように押していくことができない。しかも扱い慣れない車椅子を押して母も運ばなければならない。母とて車椅子を自分で操れるほどには慣れていない。片手でキャリーバッグを引っ張りながら、もう片方の手で車椅子を押すのだが、非力な私にうまく操れるわけもなく、見かねたお年寄りが颯爽と助けてくれた。

やっとの思いで呼吸器外科の病棟にたどり着くと、「もうすぐ戻ってこられますのでお部屋でお待ちください」と個室に案内された。この個室が狭い。差額ベッド代が¥4,000の個室だから仕方がないが、部屋にトイレがあるだけで車椅子を置く余地もない。病室入り口でまたもや車椅子とキャリーバッグに悪戦苦闘していると背後から「ありゃ?見舞客の方が病人らしかね!」と呑気な声が。車椅子で運ばれてきた父である。私たちがジタバタしている姿を見て笑っている。

「あ、お父さん。痛くない?」と声をかけるやいなや、すっくと車椅子から立ち上がり「ん?大丈夫よー」と言うと自分の足でスタスタとベッドまで歩いて、どっかりとベッドに横になった。どうやら自分でトイレにも行けるらしい。明らかに母よりもモビリティ性能が高い。手術翌日なのに。

「ご飯は?今夜から?」と聞くと「いや、お昼ご飯食べたよ。えーっとね、ハンバーグとクリームシチューやったけど、クリームシチューは好かんけん食べん。あとは全部食べた」と平然と答える。手術当日の夜は痛み止めが効いてぐっすり眠ったらしいが、ICUは退屈でテレビを持ってきてもらって見ていたらしい。翌朝痛みがあったものの、薬を飲んだら止まったらしい。ICUのテレビは無料だったので助かったと喜んでいた。まだ胸腔内ドレーンやら痛み止めのチューブやら酸素チューブやら点滴やら付けられているものの、普通に話して普通に動いている。バッグにしまったテレビカードを取り出そうと寝たままバッグの中をゴソゴソやっていたが見えなかったらしく、「ちょっと、手を引っ張って起こしてくれ」と言うので、父の手を握って引っ張った。父は握力も腕力も私より数段強く、しかも太っているので重い。おまけに私は左手首は腱鞘炎、右肩は1年以上前から痛めている。「痛い!痛い!お父さん、引っ張らんで!」とギブした非力な私は、ベッドのリクライニングボタンを押して上半身を起こさせた。

トイレに行くときはナースコールをして毎回看護師さんにきてもらってドレーンをつなげた機械のコンセントを抜いたり、酸素チューブの延長チューブを付けたりと手間がかかる。世話焼きな母は「ちょっと付いていた方がいいかな?」とたいして動けもしないのに病院に残ると言いだしたので、母を置いて私は福岡に戻った。数時間後に母を迎えに行った弟は手術前とほぼ変わらない状態の父を見て呆然としたらしい。

翌12月7日(水)の正午前、母から電話があった。「あんたが帰った後にリハビリしましょうって看護師さんが来てね、お父さんがチューブ付けて点滴スタンド押してナースステーションの周りをスタスタ3周くらい歩いてね。本当に昨日手術した人かな?ってくらいによく動くのさ。ちょっと驚いたよ」と報告してきた。その後、弟から「酸素以外全部のチューブが外された」と報告メールが届いた。もちろん出てきた食事はすべて完食しているらしい。父に電話してみると「一日中テレビ見てる。退屈だ」とこぼしていた。

翌12月8日(木)、またも弟から「大部屋に戻ったよ」と報告メール。酸素チューブはまだ付いているものの、本人はすこぶる元気らしい。なんなら週末にでも退院できそうなくらい元気ハツラツらしい。本人的には何もかも完治して100%復帰したような気分らしい。重要なことだが、肺がんは摘出できたものの、間質性肺炎はそのままである。今後ちょっとしたことがきっかけであっという間に増悪して命を落とすリスクはまったく減っていないのだ。

あまりに順調な回復ぶりに家族は全員驚いている。くも膜下出血の手術をした時もそうだった。「何の後遺症もなく発病前と同じ状態での社会復帰はおそらく望めない」と言われたのに、何の後遺症もなく3週間で退院したのだ。多分、週明け早々に退院するんじゃないだろうか?と思っている。母はすべてが予定より2日遅れだった。その時に医師から「高齢ですから、予定より遅れるのが普通なんですよ」と言われたのだが。同じく高齢の父は尋常ならざるスピードで回復して、正月はたらふくごちそうを食べるに違いない。「正月に病み上がりの父を連れて実家に行くのは神経遣う」と言っていた母だが、どう考えても母の方が「病み上がり度」が高い。

きっと今頃父は病院内のコンビニで「おやつ」を買い食いしているに違いない。