2016年12月29日木曜日

父、がんになる その8

12月2日に入院、5日に手術、15日に無事退院した父。年末の慌ただしい最中、12月27日に血液検査、CT検査を受け、手術で切除した組織の病理検査の結果を聞きに行くのに同行した。朝6時に起きて朝食を食べ、7時過ぎまだ暗い中を車で佐賀へ。

実家に着くと入院前と一切変化がない父がいた。退院当日に電話で話したときは「どこも痛くない。お母さんの痛がり方はちょっと大げさだったと思う」という発言をしていたのだが、この日は「家に帰ってきてからは痛い。腕を動かすと傷口が痛いのは仕方ないけど、胸の中が痛い。まあ、困るほどじゃないけど」と言いながら家の中を落ち着きのない小動物みたいに動き回っていた(年末なので正月の準備やら何やらやることが山積みらしい)。

病院の中では同行した母の車椅子と悪戦苦闘する私をよそに、自分だけさっさと検査を受けに行き、検査終了後に診察室前で待つ私らに合流。動くと息が切れると言っていたはずだが、あまり息が切れているようには見えない。座ったかと思うと「お茶飲む?」と聞くや否や病院内のコンビニにお茶を買いに行ってしまった。呆然とする私に「何も変わってないやろ?週末おばちゃんが来てくれたけど、どっこも変わってないってびっくりしてたよ」と言うくらい、本当に機動性が一切落ちていないのだ。

診察まで随分待っていたのだが、父が突然他の人に「あら、こんにちはー!」と話しかけた。地元だし、田舎だから知り合いとばったり会うのも珍しいことではないが、後で聞いたら同じ病室に入院していた人らしい。二人の会話から「同級生」というワードを小耳に挟み、相手の方が父と同じく白髪の老人だったので「父の同級生が娘に付き添われて診察に来ている」のだと思った。

「違うよ!えみちゃんの同級生よ!」

えみちゃんというのは実家の近所に住む父の従妹で、父が入院中脚が悪い母に代わって病院に洗濯物を取りに行ってくれていた。ちなみに「えみちゃん」は64歳である。単に老けて見える人だった。付き添っていたのは娘さんではなく、奥さんだったのだ。

えみちゃんの同級生という男性は同じく肺がんで手術したものの、がん細胞の位置が悪かったため手術で取りきれず、来月から抗がん剤治療を受けなければならないと、やや辛そうな顔で父に話していた。同じ病室にいた別の男性は手術を受けられないほどがん細胞が広がっていて、今日から入院して放射線治療を受けているという話もしていた。

「お父さん、同じ病室にそういう深刻なステージの人がいるといたたまれなくなるよね、普通?それなのに、お父さんはそういう人たちの前で「芋ケンピ」をポリポリ食ってたわけよね?」と問い詰めると、「もう1人の人は夜中にお菓子ポリポリ食べよったよ」と責任逃れを始めた。

病理検査の結果、扁平上皮がん組織が80%、腺がんの組織が20%混在していたらしい。こういう2種類のがんが一緒にできてしまうことは稀なことではないらしい。がん細胞は手術で取りきれていたものの、間質性肺炎の経過も注視しなくてはならないため、今後は3か月ごとに検査を受けることをすすめられた。手術の動画をダイジェストで見せてもらった。肺が胸腔壁に癒着していたのは、過去に肺炎にかかったためらしい。自覚症状がなくても軽い肺炎にかかることは珍しくないし、肺が胸腔壁に癒着したからといって特に不便は生じないのだそうだ。

母の手術を執刀した医師が、佐賀医大から異動になって県立病院勤務になるらしいので、これを機会に母も転院してくれると手間が省けて助かるのだが。ちなみに、母は前日検査を受けていて、転移もなく、次回は7月に検査を受ける予定。

今年は夏前に母のがんが判明して以来、仕事をかなりセーブした。スケジュールが不確定な案件や、手術前後のタイミングでの打診はお断りした。その結果、今年の売上は昨年に比べると大幅ダウンとなった。仕事をセーブすると当然収入は減るのだが、時間に若干余裕ができて、心があまり荒まなかった。

仕事もアルコールも適量が大切だ。