2023年2月4日土曜日

I Love You: 鮎川誠フォーエバー その5

毎日のように鮎川誠に関するブログを書いているのだが、昨日あたりから私に変化が見られた。それまで、悲しさで胃は痛み、胸のあたりに詰まったような感じがしていたのだが、書いているうちにそうした症状が消えた。

まこちゃんの訃報が他の地域でどう報道されていたのかはわからないが、少なくとも福岡では思った以上に大きく取り上げられた。ローカル局の若いアナウンサーは、時折声を詰まらせながら原稿を読み上げていた。新聞は1面の半分以上を費やして報じていた。早晩、地元の音楽関係者とテレビ・ラジオ局が特番を制作するだろう。一度でも取材をすれば、言葉を交わせば、もう「他人」ではいられないのだ。

みなさんは「ベーコン数」をご存じだろうか。


==Wikiから引用==

映画俳優の共演関係の「距離」をケヴィン・ベーコンを起点に計測する「ケヴィン・ベーコン・ゲーム」[3] (Kevin Bacon Game[4]) [注釈 1]という遊びがある。ケヴィン・ベーコンと共演した俳優に「1」、「1」の人物と共演した人物に「2」というように隔たりの指数(「ベーコン数」Bacon number と呼ばれる)を与えるもので、その指数をなるべく小さくしようとしたり、より遠くの人物に結びつきを見出そうとしたりするものである。もっとも、ここでいう「共演」は端役などで同じ映画に出演したという程度の関係も含まれ、必ずしも面識を持つとは限らない。この遊びは、数学者・科学者の世界におけるエルデシュ数(ポール・エルデシュを中心とした論文の共著関係の広がり)と同様の発想によるもので[注釈 2]、1994年にオルブライト大学の4人の学生が作り出した。

==引用終わり==


ほとんどの人がベーコン数6以内でケヴィン・ベーコンとつながるらしい。ちなみに私のベーコン数は4だった。私>母方のいとこ>母方のいとこの父方のいとこ>母方のいとこの父方のいとこのパートナー(とあるミュージシャン)>ケヴィン・ベーコンだったのだ(心底どうでもいい)。

北部九州の人は「鮎川数」がすごく小さいのではないか?と私はにらんでいる。ちなみに、私の鮎川数は2だ(私>私のギターの師匠(まこちゃんと友達)>まこちゃん)。ここでは、ライブで握手してもらったとか、街中で見かけて声をかけたという程度のつながりはカウントしない。顔と名前を把握してもらっていることを条件としている。ちなみに、夫の鮎川数は3だ(夫>夫のいとこ>夫のいとこの友達(シナロケのドラマー川嶋さん)>まこちゃん)。福岡や久留米を中心に、北部九州には鮎川数1の人がたくさんいて、その人達が折に触れてまこちゃんの魅力を周囲の人に語っている。だから、ファンではなくとも、鮎川数が2以上であっても、悲しんでいる人がたくさんいる。

ところで私は、何年か前にネットで見かけた「死んだ人のことを思い出すと、天国にいるその人の周りにきれいな花が降ってくる」という考え方がとても気に入っている。先代猫たちが死んだときも、天国にいる猫たちにたくさんの花を降らせたし、今でも降らせ続けている。きっと今ごろ、天国にいるまこちゃんは花に埋もれているに違いない。きれいな花がどさどさと降り注いでいるに違いない。「わー、シーナ、見てん!こがん降ってきたよー。嬉しかねー!」とシーナと笑っているに違いない。

『夢のパラダイス』という曲にこんな歌詞がある。

あなたの瞳の泉から

あふれ出しそうな涙を

今夜真珠に変えてあげる

きっと、みんなの瞳からあふれ出した涙も、あふれ出しそうな涙も、みんな真珠になって天国のまこちゃんに降り注いでいるんだ。この歌詞を書いたのはサンハウスのボーカリスト菊こと、柴山俊之。柴山さんは『キングスネークブルース』みたいなダブルミーニングのきわどい歌詞で有名だけど、こういう情感あふれる歌詞もすごく上手い……というより、こういう歌詞の方が柴山さんらしいのかもしれないと思っている。

残された遺族はもちろんだが、柴山さんをはじめとするバンドメンバー(鮎川数1未満)の悲しみを思うと、なんだかまた胸が詰まってくる。本日2月4日、東京でロック葬が開催されるが、おそらく数千人が足を運ぶだろう。今夜みんなの涙が真珠になってまこちゃんの新たなステージを輝かせてくれるはず。

『夢のパラダイス』
作詞 柴山俊之 作曲 鮎川誠
アルバム『New Hippies』に収録